見出し画像

❖「ノベル」な書き出し「述べる」だけ(第6話)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年5月27日)

(小説っぽい書き出しで表現してみるシリーズ)

この店の少し先にある在ラオス・タイ領事館は、ウィーン外交関係条約によって外交特権が認められている。そのためラオスに位置していながら、そこはラオスではなく、その空間はタイのようなものなのである。

一方、この店は単なる飲食店なので、ウィーン条約が適用されないのは当然のことである。だが、ここは本場のカレーを提供するお店だ。条約によって認められていなくても、この敷地内は紛れもなくインドであった。

だから無に対する気づきもインドに私が存在していることに起因している。無というものを数学的に捉えたとき、それはゼロと言える。

このゼロは、一切のものがないということではなく、空間としてはあるのだが、そこには分かりやすい実体的な要素が入っていないということである。ゆえに相対無。

まあ、さらにしっかりと考察をするならば、ゼロは無というべきか空というべきかという話を避けては通れないが、現在の私の脳内メモリーをそちらに使っている余裕はない。

ゼロ、無、空、絶対、相対といった概念を頭の中の隅っこにある記憶の袋に詰めてしまう。ただし詰めるだけ、これから先の思考展開が決まっているならば、将棋の封じ手みたいに次の一手を記して袋を閉じてもいいが、私の中で先ほどの概念たちの整理ができていないのだから、封はできない。とりあえず詰めて先送り。

ようやく脳内メモリーは、カウンターで交わされる会話に全投入できるようになった。言語そのものが分からずとも、中心的内容は想像がついてしまう。カウンターには驚き、疑問、滑稽、好奇などで表現される空気に溢れていることが分かった。

言語が備えている特徴は、意味を何とか知りたいときには、ありがたく便利なものだが、今の私にとってはありがた迷惑である。

そうして彼らの会話の内容を想像していると、シンガポールに住んでいたときのことを思い出した。

>>>>>>>
【本日はここまで、以下は補足、蛇足?】
このお店の中にある装飾などを見ていると視覚的にインドを感じます。
厨房からはスパイスの香りが漂ってきて嗅覚的にインドを感じます。
その香りがこれまで食べたことのある料理の記憶を呼び起こすため、まだ料理は届いてないないし、もちろん食べてもいないのに、不思議と味覚的にインドを感じてしまいます。
そして、カウンターの方から聞こえてくる言語によって、意味は分からないものの、英語でもラオ語でもなく、以前に聞いたことがあるインド系の言葉の響きが思い出されて、聴覚的にもインドを感じます。
店内に流れるBGMも聴覚に作用していました。

このように私は五感のほとんどの部分でインドを感じていたわけです。
そのため、私はインドにいるような錯覚に陥っていました。

その影響でしょうか。
「間」とは何かについて、あれこれ考え、いつしかゼロ、無、空、絶対、相対といった概念の思索に繋がっていったわけです。

ゼロの概念が生まれたとされるインドの雰囲気が私をそんな世界に誘ったのでしょう。

#私の作品紹介   
#ラオス   #ビエンチャン

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,726件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?