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❖足元美術館Ⅱ 別館展示:カラフルなコラージュ❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年12月11日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆足元美術館Ⅱ 別館展示:カラフルなコラージュ◆
この季節、様々な場所でふと足元に目を向けると、そこには美術館の素敵な展示が広がっている。昨日もまた一つ魅力的な美術館を見つけた。こちらも勤務校の施設内だったので、以前に紹介した美術館の別館だろうか。別館の展示はまるで何かの祝い事が行われた後のような世界を表現していた。「花道」とはまさにこのことか。イチョウの黄色と、サザンカのピンク色が不規則に散りばめられていた。そして、この道を誰かが通り過ぎたり、葉や花が舞い降りたりを繰り返しているのだろう。特にサザンカは、踏まれたものは淡いピンク色で、まだ踏まれていないものは鮮やかなピンク色であった。踏まれて淡いピンク色になっているものと、そうでない鮮やかなピンク色のバランスは、この道を通った人が決して作為的に踏んで整えているわけではないが、作為ではないからこそ生まれる絶妙のバランスになっていて、見事な自然美に昇華していた。自然が作り出したカラフルなコラージュ。それは、規則性という作為ゆえの不自然な秩序よりも、不規則という不作為ゆえの自然な秩序の方が、結果的に優位を生み出すということを静かに証明しているようだった。実はこの日に見つけた別館はもう一つあり、私は花道よりも先に遭遇していた。そちらは朝、出勤の際に見つけて、たくさんの紅葉が降り積り、まるで真っ赤な絨毯が道に広げられているようだった。授業時間が迫っていたので後ろ髪を引かれつつも、帰りに撮影しようと考えて、先を急いだ。しかし帰り際、赤い絨毯を探しても見つからなかった。多分、校内を清掃している方が、ホウキで掃いて絨毯を片付けてしまったのだろう。写真に収められなかったことはとても残念であるが、頭の中の記憶だけに刻まれた真っ赤な紅葉の絨毯は実際の姿よりも艶やかさを備えているように思えた。目に映る紅葉の絨毯は、通りゆく人の靴によって破れたり汚れたりしてしまうが、脳裏に広がるそれは永遠不変の美しさを保ち続ける。それはまさにプラトンの語る通りで、現象界は本質の似姿でしかなく、可変的で不完全な相対性に支配されているが、イデア界は本質自体が居住し、不変的で完全な絶対性に支配されている。あの赤の絨毯との出会いが刹那的であったからこそ、記憶に残る絨毯の永遠なる美しさを受け取ることができた。そう考えれば、これはこれで幸せだったと言える。そして、その出来事があったからこそ、他の別館を探して、素敵な花道に出会えたわけで、幸福はどこでどう繋がるか分からない。つまり、幸福は決まり切った固定的なものではなく、柔軟で優しさに満ちたものなのである。昨日の足元美術館巡りはそのことを改めて実感させてくれた。

#美術館巡り   #美術館   #散歩写真

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