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アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run59

⭐考えることは悪いことではないはずなのに、考えに考えてたどり着いてしまう「蛇足」は複雑な心境⭐️【記事累積:1692本目、連続投稿:711日目】
(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)

<探究対象…学級通信、メッセージ性、大人と子ども、ターゲット、脱中心化、主観と客観、蛇足>

8月も最終日となりました。ラオスで勤務している在外教育施設は8月中旬から既に2学期が始まっていますが、月が変わる前に次の月の「学習予定表+学級通信」を配信することになっているため、ここ数日は今回の「学習予定表+学級通信」のコラムをどうするか考えていました。以前の回で書いたように、「学習予定表+学級通信」のタイトルは「コトバとカイワ」です。そしてその中のコラムでは、「コトバとカイワ」という音で表現できる漢字を使いながら、学習のことや生活のことについてメッセージを送っています。【情報の収集】

繰り返しになってしまいますが、ここまで配信した4回のコラムの内容は次の通りです。第1号は「コトバとカイワ」の全体的な意味(言葉は「言刃」になること、会話は「快和」なものであると同時に「皆輪」になっていることが大切であること)について、第2号は、コトバづかいは「異場づかい」として自分の立場と他者の立場が異なっていて自分だけが正解ではないことについて、第3号は、もう一つの「異場づかい」として「場面(時間)・場所・場合というTPO」の使い分けを考える必要があることについて、第4号は、メッセージには「モジ(文字)とイメージ」の2種類があり、イメージを正しく捉えるためには「想像できる力と共感できる力」が大切であることについて書きました。【情報の収集】

こうして4回のコラムを「コトバとカイワ」にまつわる内容にしてしまったので、今さらそれとは無関係なコラムを書くのも不自然だと思います。このような内容の関連性は、メッセージの一つひとつが単発で終わらないので、相乗効果を期待することができます。しかし何事もメリットとデメリットが表裏一体であり、この「コトバとカイワ」縛りによって、表現の自由度・柔軟性を保つのが難しくなってしまいます。【整理・分析】

そのように回を追うごとに難しさが増している「コトバとカイワ」縛りの中で、一体どのようなコラムを書くことができたのでしょうか。【課題の設定】

表現の自由度・柔軟性を保つのが難しくなってはいるものの、救いとなっているは「学習予定表+学級通信」の構造でした。4年前に勤めていたときは、コラムの内容は保護者向けなのか、児童・生徒向けなのか自分でもしっかり決まっていない状態で書いていて、生徒に対しては難しすぎる一方で、投げかけなども多く、純粋に保護者に向かっていない歪さがあったのです。その問題点を克服するために、今年度工夫したのは「1ページ目は保護者向けのコラムで、2ページ目は児童・生徒向けのコラム」という二本立ての構造を導入したことでした。【情報の収集】

読み手が保護者もいれば小学生もいるという形だと、どれだけ表現に気をつけたとしても、双方にとってベストなメッセージにはなりにくいと思います。そこでこのように二本立てにすることで、保護者へは現在の授業の状況報告や指導の狙いなどについても書くことができますし、児童・生徒へはやや教訓じみた話を平易な文章で書くことができます。【整理・分析】

そして1ページ目と2ページ目は全く別物というわけでなく、その回で伝えたい「コトバとカイワ」の話が所々で関わる形にしてあります。1ページ目は完全に保護者向けで書いていますが、2ページ目は児童・生徒だけに読んでほしいというよりも、保護者のフォローで一緒に読んでもらうようにお願いしています。【情報の収集】

こうすることで保護者/児童・生徒/教員の三者が、コラムに書かれているメッセージを共有できるようになりますし、児童・生徒からすると異なる大人から同じようなメッセージを受け取るような状態になるため、メッセージの大切さに気づきやすくなると思います。また保護者と教員という大人が伝えるメッセージのズレを減らす役割もあると考えています。毎回2種類のコラムを書くのは大変ではありますが、それ以上にメッセージを効果的に伝えられるというメリットを感じているので、そこまで苦ではありません。【整理・分析】

この二本立てのおかげで、伝え方や使用する表現を分けて考えることができるので、その点(「どう伝えるか」)での悩みがなく構造的な書きやすさが生まれ、あとは「何を伝えるか」という核心に迫ることができているのが救いなのです。【整理・分析】

そして数日間の自問自答・試行錯誤の末、今回伝えようと考えたメッセージ内容は、「イメージの受け取り方には唯一の正解がないこと」「そのとき大切になってくるのが、自分とは違う考え方や感じ方があるかもしれないと『想像できる力』と、他の人の考え方や感じ方にもなるほどと『共感できる力』の2つであること」でした。この「イメージの受け取り方には唯一の正解がないこと」に気づくための材料として、「ドアの写真」を用いました。そのドアは完全に閉まっていない状態になっています。【情報の収集】

この写真を見たとき、「少し開いている」と考えたり感じたりする人もいれば、「かなり閉まっている」と考えたり感じたりする人もいると思います。そしてその捉え方は、イメージを受け取った人にとっての正解かもしれませんが、それだけが唯一のものではないわけです。しかしそのことを理解せずに、自分の捉え方だけが正解だと思い込みすぎてしまうと、トラブルはなくなりません。【整理・分析】

そのとき、自分の捉え方とは異なるものがあるかもしれないと想像できれば、「主観性」だけで突っ走ることのブレーキになります。また異なる捉え方に触れたとき、一理あるな、なるほどと共感できれば、捉え方は幅広いものとなり「客観性」が備わってくると思います。【整理・分析】

こうして今回のコラムは完成しました。小学生は自我が芽生えたばかりなので、どうしても「主観性」のエネルギーが強く、自分の捉え方を絶対的なものと考えてしまいます。しかし青年期に向かって成長していくとき、必ずしもそれだけが世界に存在するわけではないと気づくことが大切なのです。その気づきと、どんどん膨らんでくる自我とが上手く組み合わさっていくことで、健全な人格が形成され、集団生活と正しく向き合って過ごすことができるようになると私は考えています。【まとめ・表現】

スイスの心理学者であるジャン・ピアジェは「認知発達理論」において、幼児期の自己中心的な考え方から脱却していく過程が、7歳~12歳くらいの時期(具体的操作期)において大切な課題であると考えました。これは一般に「脱中心化」と呼ばれています。【情報の収集】

この「脱中心化」が進むことで、児童・生徒は「社会性」を身につけていくことになります。それが集団生活と正しく向き合って過ごすことができるということではないでしょうか。【整理・分析】

このようなメッセージを伝えるために「ドアの写真」を使ったまでは良いのですが、私の悪い癖が暴れ出してしまい、もっと話を広げた方が伝わりやすくなるんじゃないかと考えてしまいました。その結果、「人間は万物の尺度である」という言葉でプロタゴラスの話を盛り込んでしまったのです。もう配信してしまったので後の祭りですが、これによってメッセージが伝わりやすくなったとは言えず、プロタゴラスの話は蛇足だったと反省しております。最初の頃の下書きでは、これに加えて「相対主義」の話までしようとしていました。しかしそれはページ1枚に収まらないということで断念したのであって、もし収まるようならば、書いてしまっていたと思います。こういった説明のエスカレーションは、せっかく保護者向けと児童・生徒向けの二本立てにしてメッセージのターゲットを明確にし、伝わりやすさに重点を置いた流れと逆行するものですね。この悪い癖という論点の考察は別の記事で考えてみようと思います。【まとめ・表現】【今後の課題の設定】

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