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❖オンラインの中にもノスタルジー❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年11月2日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

若い頃、よくネットゲームをしていた。リネージュというゲーム。家のパソコンを使うと抜け出せなくなる気がして、ネットカフェを利用していた。しかも仕事を終えて、最寄り駅周辺のネットカフェに通っていた。ゲーム内のイベントで、毎日1時間以上ログインし、30日間連続できるとアイテムがもらえるというものがあった。そのときは、とにかく1時間以上ログインすることが目的になって、パソコンでネットゲームに繋ぎつつ、テレビで番組を見つつ、予習をするという不思議な状態だった。それからはゲーム内で特にすることがなくても、毎日ログインするのが当たり前になっていた。さらに現在の課金と変わらないが、当時、攻略本を買うと、ゲーム上でアイテムが手に入るシリアルナンバーのカードがおまけでついてくるというのがあり、書店をハシゴして買い漁っていた。近くの書店での購入に留まらず、ネットでも注文をした。一冊は1890円だった。きちんと数えたわけではないが、軽く50冊は購入した気がする。総額は10万円くらい。時間も使い、お金も使い、しかしそれに違和感を抱かなかった状態は、まさに中毒。だが、それによって仕事が疎かになっていたかというとそこまでではなかったように思える。毎回、授業の振り返りのコラムと一問一答を作成して送っていた。欠勤もせず、ほぼ毎日あった部活も顧問として指導にあたっていた。毎週水曜日に行われる総合的な学習の時間で、他のクラス、他の学年で統一して活用してもらう探究ワークシートとその使い方プリントを作成して提案もしていた。なぜ、あんなにゲーム中毒になりながら、授業やクラスにも働きかけができていたのか。若さで片付けてしまえるものだろうか。今振り返ってみると、不思議で仕方がない。そして最近、テレビCMでそのリネージュの新作が11月4日から配信されることを知った。ゲームの名前を聞いて、懐かしい気持ちになった。新作にログインしようかなという悪魔の誘い。しかし、ログインして、再びハマったならば、当時のような八面六臂の活動はできずに落ちぶれていくだろう。新作は画面も世界の広さも操作性もイベントも、とにかく初代に比べてレベルアップしているのは間違いない。しかし、その発展は私にとって、魅力ではなく救いである。私が求めるのは、ゲームの発展性ではなく、当時の記憶と繋がるノスタルジーであって、ログインの瞬間くらいはそれを感じられても、本格的にゲームをしたならば、全く異なる世界と感じ興ざめすると思う。だから、その発展性が私を再び沼にハマることを防ぐバリケードとなり、私が落ちぶれないための救いとなるのである。というのは希望的観測。実際ログインしたらどうなるか分からない。だから、近づかないようにしておく。

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