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❖「ノベル」な書き出し「述べる」だけ(第8話)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年5月29日)

(小説っぽい書き出しで表現してみるシリーズ)

店に入るなり、注文カウンターにメニューがあるかを確認する。当時も今も、情けないことに、お店などで私が使いこなせる魔法は「イエス」「ノー」「ディスワン」だけ。

「イエス」「ノー」はレベル1の基本魔法で、白か黒か、全か無かというように、世界をいずれか一方で埋めつくすためのもの。

だからこの2つは注文には適していない。実際に注文する場合、数ある商品の中からの「選択」が必要である。

まあ、イエスという全肯定とノーという全否定もマクロで捉えれば、どちらの世界であるかの選択と言えなくはない。

だが、メニュー上での「イエス」は、自らが主または神になることを意味する。全知全能の創造者としてあらゆるものを受け入れる。来るものは拒まずという最強の寛容。それはまさに無差別の愛。

その結果、全てへ注がれる愛ゆえに、自身はあらゆる「食材(しょくざい)」を受け止めることになる。受け止めること自体はもちろん罪ではないが、受け止め切れず、食べ残したりすればフードロスという持続可能性への罪と見なすことができそうだ。さらにもし、提供されたあらゆる「食材(しょくざい)」の対価が支払えなければ、法律上でも罪になる。罪を贖うどころの話ではない。そうなると、「イエス」と答えた自らが罪人になってしまうのだ。

そう考えると、メニュー上での「イエス」はやはり適していないことになる。

一方、メニュー上での「ノー」は、どうだろうか。こちらは空間にしても時間にしても、あらゆる有を認めないことを意味する。

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【本日はここまで、以下は補足、蛇足?】
最近はかなりスマホで写真を撮っていますが、当時の写真、特にシンガポール第1期の写真はそれほど多くないですね。こうして振り返りをしながら写真を遡っているとそう感じます。

あれだけ何度も足を運んだVIVOCITYですが、写真がないのです。
ということでハーバーフロントMRT駅の写真で代用しておきます。

それにしても、海外生活という語学を鍛える絶好のチャンスを得ていながら、私は簡単な単語だけで乗り切ることを繰り返してきてしまったため、情けないくらい英語が上達していません。

確かに簡単な単語だけでも何とかなるのは実感しています。ただ、コミュニケーションを深めていくためには、もっと細かい意思表示が必要で、それをしないまま現在に至っています。

だから後に述べるようなトラブルに巻き込まれるわけです。

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