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NLPを学んで起きたこと(2)

今年(2024年)は梅雨入りが少し遅れる
ようですね。

梅雨入りが遅れると私が住む大阪の
水源でもある琵琶湖の水位が気に
なりますが、今年は梅雨入りが遅れても
平年並みの雨量とのことで、
そうなると大雨が心配に…と、
心配しだすとキリがありませんね。

私が子供のころは断水することなんて
ちょいちょいありましたので、
何十年も前と比較すると
いろいろと進歩しているんだろうなと
思います。

さて、肯定的意図について
何となく理解できるようになったことで、
自分自身の行動について客観的に
(NLPではディソシエイトと言います)
見つめることができるようになりました。

この肯定的意図を理解することが
できるようになったことで、

2)原因側に立つ

この点についても、
スッと受け入れることができるように
なりました。

原因側に立つということは
「結果に対する原因が自分自身にある
という視点から物事を考えてみる」
ということです。

はじめは、いやいや…全部自分のせいって
ことはないですよ💦と思っていました。

事実はそうですね。何事においても
結果の原因というのは
私だけにあるわけではありません。

肯定的意図を探し、見つけることで、
新たな選択肢を見つけ、受け入れ、
行動に移せるようになった結果、
原因側に立つということもスッと
受け入れることができるようになりました。

それまでは、自分が原因ではないことを
自分のせいにする/されるのは

「納得できない」
「負けた気がする」
「自分が否定されたような気持になる」

こんな感情が湧いてきて、とても嫌でした。

それでも、例えば会社で誰かの失敗を
庇ったり、押し付けられたりすることが
あると思うんですよね。

そんなときに「納得できない」と
思ったとしても平然と
「申し訳ございません。」
と謝ることに慣れてしまっているので、
「嫌だ」
という感情を
「仕方ない」
という感情で飲み込んでしまっていたと
思います。その結果、
何かを得ることもなく
自分の心がちょっと削られて終了、
ということになります。

それを繰り返した結果、心が「バカ」に
なってきたように思います。

時々、このような状況で
一緒にいる人から「大丈夫ですか?」
と聞かれることがありますが、
「何が?」と答えてしまっている
ことがちょいちょいありました。

肯定的意図があることを知り、
その結果原因側に立てるように
なったことで、
私に起こった最初のこと。それは、

思考と行動の選択肢が一気に広がる。

ということでした。

原因側に立てるようになる前は

「自己防衛」

一択でした。「自己防衛」の中に
細かく分類された行動がありますが、
少しチャンクアップすると
「自己防衛」でしかないな
ということに気づきました。
建設的な発案をすることに
なったとしても、自分自身を
守ることと表裏一体の発案で
あったので、選択肢が少ない。。。

原因側に立てるようになってからは

・あらゆる角度での発案をすることが
 できるようになった。
・物事の本質を考える余裕が生まれてきた。
・対立する場面でも相手の話を
 聴くことが容易になった。

こんな感じでしょうか。

なんだ、そんなことならNLP学ばなくても
やっている!と思う方もいると思います。
実際、私もやっていたと思います。

何が違うかと言うと、これらのことが
より自然に、スムーズにできるように
なった、ということでしょうか。
心がバカになっていたので
上記3点もやっていたのですが、
何というか、心のいろんなスイッチを
切ってやっていたという感じでした。
わかりますか?💦

そして「すべてが一気に変化した」
ということではなく、
一気に変化したこともあれば、
じわじわと変化したこともありました。

そうこうしている間に気づいたことが
あります。
それはこういうことです。

NLPって、自分自身(脳と心)の
取扱説明書みたいなもんだな。。。

今まで、取扱説明書を読まずに、
適当に自分自身を扱っていたな。。。

自分自身の取り扱い説明書については、
こちらを参考にしてください。

分かりやすくまとめられています。

https://www.nlpjapan.co.jp/about-nlp.html

次の気づきは 3)柔軟性 です。

この点については次回に。

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