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ここ数回にわたるポートレートに関しての記事に対する補足を。

ここ数回にわたりポートレート撮影に関して書いてきましたが、いくつか追加してお伝えしたく、下記、ご覧頂けましたら嬉しいです。

まず最初に、家族や親族のポートレートを撮って頂きたいということです。できれば定期的に。そして最終的にその中の1枚が家族や親族の遺影になるのも私は素敵なことだと思うのです。写真館などのプロカメラマンに生前、撮影してもらうのもOKです。でも、もしあなたが熱量を持ってポートレートに撮り組んでいるのなら、家族や親族を長年撮り続け、結果的にその中の1枚が遺影になるのはいかがでしょうか。私の場合は祖父母の遺影が私の撮ったポートレートとなりました。祖父は生前、お気に入りの写真を指定してくれていました。身内が撮った遺影は思い入れがあり、強いと思うのです。子や孫に引き継がれ、語られてゆくと思うのです。私のささやかな提案です。もしよろしければ。

次に、日本にはたくさんの素晴らしい写真家がいます。いつもどこかで写真展が開催されています。東京や大阪などの都市圏では毎日膨大な数の写真展が開催され、私も20年以上足を運び続けています。そして会場には作家自身が在廊している場合が多いので、ぜひ作家に話しかけてみてください。展示作品に関しての感想はもちろん、写真全般に関しても質問や感想を述べてみてください。きっと優しく丁寧に応えてくれ、アドバイスしてくれると思います。私もそうやってたくさん学び、ヒントを得てきました。

そして最後にポートレート撮影の実践に関することです。それは、撮る人は試されているということです。被写体となる人は、この人(撮影者)に自分を預けることができるだろうか?この人は、自分をちゃんと受け止めてくれるだろうか?そんな不安を抱きながらカメラの前に立っています。

写真は眼で撮るものですが、私は耳で撮るようなイメージを持っています。「耳を澄まし」、相手の心に寄り添う。想像力を総動員して相手の気持ちを理解しようと努める。そしてお互いの信頼関係が結べた!と思った瞬間に、1枚だけ撮ればいいのです。至福の瞬間を閉じ込めるイメージです。多くの枚数は要りません。結局ベストは1枚に絞られますから。

実家にある家族や自分自身のアルバムを開いてみてください。家族や友人、恋人たちとの愛おしい時間が写っているはずです。そしてその写真の多くはシャッターが1回だけ押された写真で、数枚撮ったなかのセレクトの結果ではないはずです。依頼仕事や大事な作品撮りの場合は1枚では危険ですが、そうでない場合は1枚で充分ではないでしょうか。数枚撮ったとしても、たいてい最初の1枚がベストになっているものです。

最後の最後に。ポートレート撮影はコミュニケーションのひとつのかたちですから、いかにこれまでコミュニケーションについて考えてきたか、実践してきたかが大きいような気がします。その考えの深さと実践の多さが、撮影者の不器用さをより助けるのではないでしょうか。

以上となります。重ねて、私の偏ったポートレート論ですが、何かの一助となれば幸いです。どこかでお会いできたら嬉しいです。長々とお付き合いして頂き、誠にありがとうございました!




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