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祖父母が早起きだった意味が、今ではよくわかる。

2002年。28歳になる年に写真を始めて以来、食う食わずや生きるか死ぬかの想いでやってきたところもあるけど、コロナ禍で料理をするようになり、今春から小さな畑を始め、足繁く通ううちに色々と思うところが出てきた。

それは、写真云々よりもまずは食べることが先にあり、同時に生きていくための糧を育て、得ていくことが先にあるのだということを、日々実感している。

度々このnoreでも書いているが、私が農家の流れであることが多分にそう思わせている。少なくとも祖父母の代から大都市に生まれ育ち、勤め人の流れであったならばそう思わなかったかもしれない。生まれ育った環境も大きいだろう。

昨日なども酷暑で1時間ほど水撒きと収穫に行っただけで湯水のような汗をかき、体力も随分消耗した。夕方でもそんな有り様で、でも行かなければならないのだ。野菜が枯れてしまう。そうやって人間は古来より糧を得てきたのだと体感している。私の祖父母たちも。

そんな日々をわずか3ヶ月ほど過ごしただけなのに、なんだか自分がやってきた写真のことが、ある意味では霞んできてしまうのだ。全てを自分で自給するなんて無理だけど、出来る範囲でやってみて、収穫した野菜も含め、料理を日々する。そんな毎日があってこそ、それが土台となってこそ作品が生まれてくるのではないか。日々の色々なことを他人やサービスに頼り切り、最後の上澄みとして作品を作っていても説得力がないのではないか。そんなことを考えるようになった。あくまでこれは、私個人の話である。他人のことはわからない。

料理をするときもそうだけど、野菜に水をやったり収穫したりするときも静かな気持ちになる。無心になる。暗室をやっているときもそうだ。かつてやっていた野球の素振りや、絵を描いているときの気持ちにも近い。瞑想しているようだ。

畑と料理。そして写真。この両輪が上手く回ってこそ、私の作品は説得力を持ち得るのかもしれない。畑や料理だけではない。生きていくために必要な技術は出来るだけ獲得した方が良いだろうし、人生も豊かになるだろう。万能人。色々とゆとりが出来たら釣りや機織りにも挑戦したい。釣りは小学校の頃によくしていたけど、今ではすっかり忘れてしまった。


祖母が生きていた頃、彼女が畑仕事をする様子を写真に撮りたいと話したところ、早朝5時に畑に来いと言ったことがある。夏の時期だ。私はニコンFM2にモノクロフィルムを詰め、朝5時に畑に向かった。

早朝5時の意味が、今ではよくわかる。
80歳の老人が昼間に水やりなんてしたら、死んでしまう。
そして老人が早起きなのではなく、農家が早起きなのだ。
そんなことを今さらに思う。
太陽と作物と人間の関係のひとつだろう。


白洲次郎は戦後、GHQの仕事がひと段落した後、自らを百姓と名乗って郊外に暮らし、耕作の日々を送っていた。初めてジーンズを履いた日本人としても知られている。そんな耕作の日々を送りながら彼はどんなことを考えていただろうか。

明日も酷暑らしい。日が暮れてから畑に行こう。
明日はキュウリとトマト2種が穫れるだろう。
ピーマンとオクラ、枝豆はもう少しかかる感じ。
雨乞いをする人の気持も少しわかってきた。


私は自分のことを写真家と名乗っているが、今後は百姓でもあると(小さく)言えるくらいは者にしたいと密かに思っている。




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