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紺ブレとリーバイスとローファーに、セカンドバッグを添えて。

4月。移動の季節。新社会人。新入生。地方から都会に移る人。都会から地方に移る人。海外に移る人。戻って来る人。出会う人。別れる人。悲喜こもごも。街にはフレッシュな若者が行き交います。中堅もベテランも、満開の桜をふと見上げ、身を引き締める季節でしょうか。私が会社勤めをしていたのも大学生だったのも随分昔のことですが、今でも新歓コンパとか歓迎会をやっているのでしょうか。

私が大学に入学したのは1993年。郷里の鳥取から大阪に出てきました。普段駅を使う習慣がなかったので、いきなりの自動改札には戸惑いましたし、大阪の鉄道路線図の複雑さには大変驚きました。阪神と阪急とでそれぞれ梅田駅があったり、梅田駅と大阪駅の距離感がわからなかったりと、右往左往するばかりでした。梅田やなんばあたりの地下街も広大なので、いつも迷子になるばかりでした。

大学の最初のクラスでの新歓コンパをよく覚えています。そもそもコンパの意味がわかりませんでした。何をするのか、何を着て行っていいのかもわかりません。私は当時のプロ野球選手のようにセカンドバッグを持ち、紺ブレにリーバイスのジーンズ、ローファーという出で立ちで参加しました。そしてお酒をたらふく呑み、ゲームをして負けた者は勝者の頬にキスをするという光景が、野球ばかりしていた田舎者にはとてもハレンチな大人の世界に映りました。同級生がとても大人びて見え、「私、船寄くんのふたつ年上やねん!」という女性の言葉を何年も信じていたくらいです。そして綺麗な人がとても多くて、大阪がすごいのか、このクラスがたまたまそうなのか、とても不思議な気持ちになりました。その中で一際美しいひとが泥酔し、何度もトイレに駆け込む姿にも大変驚きました。この時の写真が数枚残っていますが、まだまだのどかな時代で、いまではタバコもお酒もダメなんですね。このときの仲間の多くに4年間、とてもよくしてもらいました。親切に、色々なことを教えてくれました。そして私の専攻は社会学で女性が多く、私のクラスは美人揃いで評判だったということを、随分経ってから知りました。田舎者にはどうしてもタイムラグが発生してしまいます。そして理解力に乏しい私は尚更です。

私は様々な文化に触れたくて大阪に出て行きました。映画や美術館、コンサートやプロ野球など、毎週ぴあを入念にチェックし、足を運びました。そのせいもあって大阪や神戸、京都の地理感を掴み、各鉄道の路線や地下街の方向感覚なども身に付きました。その経験は東京に移ったときに活かされました。大阪時代の応用です。戸惑うことは殆どありませんでした。むしろ大阪よりも文化的施設が多いのでウエルカムでした。

いまの時代は色々な規制やコンプライアンスどうこうで、とても穏やかな平和な新歓になっているのでしょうか。私達の時代にはありふれたことでも、今の時代ではショッキングに報道される大事件になったりします。いまの時代の方が良いに決まっていますが、傑物や眼を見張るような出来事が減っていくような気もしています。時代は流れるままです。そして温かく穏やかに大切に見守り育てられながらも、いざ窮地になると真っ先に戦場に向かわされるのが若者です。遠い国の話ではなくなる日が、近く来るかもしれません。

10代から20代くらいの若者にはしっかりと「若気の至り」の如く、ハチャメチャに暴れまわって欲しく、そんな寛容さが許される社会や経済の状況であって欲しいと個人的には思っています。若者の創造力とエネルギーは無限ですから。ちょっと難しそうですけどね。





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