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「夏の友」と、ひいばあちゃんの涙。

夏といえば色々なことを連想しますが、梅雨が明け、本格的に夏の暑さが到来すると、戦争に関するニュースを眼にする機会が多くなります。そんなとき、いつも思い出す光景があります。

小学生のとき、夏休みの宿題として「夏の友」という冊子がありました。昭和の終わりごろの話です。
5教科のドリル的なものだったのか、総合学習的なものだったのか、すっかり忘れてしまいましたが、その中で「戦争体験を家族に聴く」という課題がありました。

私の両親の実家はそれぞれ自宅から歩いて行ける距離にあり、とても身近で、自分の家が3つあるような感覚でした。それぞれに祖父母と曾祖母がおり、いつでも会える存在でした。
そして出征体験者はその中でひとり。母方の祖父だけでした。父方の祖父は頑健で95歳の長寿を全うしましたが、徴兵検査には何故か落ちたそうです。

私は小学生の頃からなぜ父方の祖父が徴兵検査に落ちたのか不思議に思い、何度もそのことを祖父に訊いたことがありました。
「なんでかなあ」と、祖父は応えるばかりでした。

今の私が思うところでは、代々肺を病み、早世した者が多い家系だったせいだろうと考えています。朝ドラでもそうですが、あの時代は不治の病で亡くなる者が多く、隔離され、差別も酷かったと聞きます。他の兵隊に感染するリスクを避けたかったのでしょう。疑わしきは排除する。そのお陰で祖父は長生きできました。

そして母方の祖父。彼は衛生兵として満州に行っていたと記憶しています。ちなみに彼の弟は南方に派遣され、終戦後、捕虜生活を送りました。

母方の祖父からは戦争に関する話を聴くことがありませんでした。80歳と、少し短い人生だったこともありますが、それを聴くには憚られるような雰囲気がありました。本棚には戦争に関する書籍や記録集がたくさんありましたので、彼の人格形成や戦後の生き方に大きく影響を及ぼしたのは間違いないでしょう。

そんな状況だったので、小学生だった私は彼の母親、母方の曾祖母に戦争の話を聴くことにしました。「夏の友」を持って、特に何も考えず曾祖母に会いに行きました。

私は曾祖母に会うなり課題の趣旨を話し、メモを取ろうと鉛筆を握り締め、彼女の話を待ちました。
しかし彼女はしくしくと泣くばかりでした。
もう40年くらい前のことなので記憶も曖昧ですが、何か途切れ途切れに話してくれたかもしれません。しかし話の内容は一切記憶になく、夕暮れ時、彼女の部屋で泣くばかりの姿だけが強烈に記憶に刻まれています。
曾祖母はその数年後、90歳を過ぎた頃に亡くなりました。

母方の曾祖母は父方の曾祖母同様に、30代で伴侶を無くしました。3人の子どもをひとりで抱え、苦労も多かったはずです。さらに追い打ちをかけるように火事で自宅が焼け落ちました。困窮の極みでした。
祖父は学業に優れていたそうですが進学もままならず、農業で家族を支えてきました。火事の影響もある思いますが、祖父の幼少時の写真はほとんどありません。当時は写真やカメラが高級品で貧しかった一家にはそんな機会は滅多に無く、そんな状況は私の母親の幼少時まで続きました。

一家が困窮を極めるなか、祖父とその弟に赤紙が来ました。曾祖母は絶望したでしょう。出征したらもう生きて帰れない時代です。そんな悲しみと不条理を抱えたまま、万歳三唱を涙ながらに曾祖母は唱えたはずです。そんなことを思い出したのかもしれません。母と娘のふたりで過ごした戦時中はどんな時間だったのでしょうか。

幸運にも曾祖母の息子ふたりは還ってきました。曾祖母の喜びようと安堵は想像に難くありません。しかし、還って来れなかった人たちはたくさんいるのです。


私は写真作品を作っていることもあり、常に自分の足下を掘り下げる必要があります。そのひとつとして家族や親族の歴史について調べる機会がありました。調べると言ったら大袈裟ですね。話を聴くだけです。

戦争に関していえば、父方の祖父にはどこで玉音放送を聴いたのか、ヒヤリングしました。母方の祖父の弟には捕虜時代の話を聴きました。母方の祖母の弟には特攻隊の訓練中に終戦を迎えたことを聴きました。
双方の祖父母の兄弟には出征した者が他にも数人いて、いくらでも戦時中の話を聴く機会があったのですが、それもあまりないまま皆、鬼籍に入ってしまいました。

双方の祖父母の兄弟のなかで、戦士した人はひとりもいません。私の知る限り、他の親族の中でも戦死者はいません。日清戦争以来、約半世紀も戦争に明け暮れた時代です。奇跡だと思います。

私は幼少期から、そんな戦争を生き延びた親族のなかで育ちました。母方の祖母が8人兄妹だったこともあり、周りは親戚だらけで会ったことのないはとこがたくさんいます。たまたま撮った高校生が初めて会うはとこだったこともありました。

母方の冠婚葬祭の時には集まる親族が多く、みな大声で騒がしく、子どもながらに恐怖を覚えることさえありました。しかし自分が成長し大人になるにつれて彼ら彼女らとの続柄も理解し、その上で色々と話せるようになりました。面倒くさいこともあるでしょうが、そんな人達に囲まれ揉まれてきたことは、私の人格形成に大きく影響していることを自覚しています。


「夏の友」と曾祖母の話から随分と遠い場所に行ってしまいました。

30代の終わり頃、半藤一利さんの著作を集中して読みました。近代以降の流れを追った本です。私は日本史が好きで高校時代もよく勉強しましたが、それはあくまで平面的なもので、半藤さんの本を読むとその平面が立体へと変わりました。ぜひオススメです。

来年は終戦80年。
その次代を語れる人もあとわずかとなっています。


冒頭の写真は浦賀で撮ったもの。
この場所から日本の近代が始まり、この国の狂気と暴走の極みが破滅し、終戦となりました。その残滓は残念ながら色濃く現代まで残っています。





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