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「船寄剛」と書いて、「ふなよせたけし」と読みます。

いまさらですが、私の名前についてのお話です。

私は鳥取県湯梨浜町の出身で、旧羽合町の出身です。私が実家に暮らしていた高校の頃は船寄という家は町内に三軒あり、私の実家と祖父宅、そしてもう一軒は船寄家の本家でした。私の家は分家で、しかも曾祖父母が共に養子だったので、私の身体には船寄家の血は一滴も流れていません。その時代には、そんな家が結構あったと思います。

またネットで「船寄」と検索しても、出てくるのはほぼ家族、親族です。知らない人もなかにはいますが、辿れば遠縁になる人もいるそうです。そして全国で船寄という姓を持つ人は100人もいないそうです。ネット情報ですが。

私の実家と本家とは歩いて10分もかからない距離でしたが、付き合いがあるのは祖父くらいで、私は行ったことがありませんでした。祖父と同世代の老夫婦が暮らす世帯で、私の両親も行くことはほとんどなかったと思います。近所にありながら、本家は遠い存在でした。

ちょうど20年前の2004年に、私は東京で「はわい」という個展を開催しました。平成の大合併で「羽合町(はわい町)」という町名が消えることになり、その前に町民を撮影し、展示しました。写真を始めて2年ほど経った頃で、運良く深夜の情報番組で紹介されました。そしてたまたまその番組を目にした本家の親戚が個展に来てくれました。初めて会う本家のひと。私よりふたつ年上の男性でパートナーと一緒に来てくれました。テレビを観ていて、「はわい」だし「船寄」だし、きっと分家の人だ!ということで来てくれたそうです。初めて会うのに、とても懐かしい感じがしました。血の繋がりもないのに、とても似ている感じがしました。名字にも特有の傾向や性質があるのでしょうか。その男性の弟さんは私と同学年で後に郷里で会うことになるのですが、とても私に似ていて驚きました。「血」と何なんでしょうか。以来、本家の方との交流が始まりました。心強い限りです。

「船寄剛」を、間違えずに最初から「ふなよせたけし」と読めた人はほとんどいません。記憶に残るのはひとりだけ。小学校の先生ひとりだけでした。物心ついた頃から私は自分の姓名の読み方を説明してきました。「剛」を「たけし」と読むのも珍しいらしく、「ごう」や「つよし」と大抵は言われます。他人にとっては面倒くさい姓名でしょう。私の家族、親族も同じような経験を山ほどしているはずでしょう。生涯で「船寄」という苗字のひとに2人以上会うことがある人も稀でしょう。とても珍しい苗字なので悪いことはできません。

そういえば、静岡の三島大社に「船寄社」という御札のようなものがあり、祀られています。起源や意味はわかりませんが、初めて目にしたときは驚き、不思議に思いました。三島はたまに行く場所で、機会があったら暮らしてみたいところです。だから余計にびっくりです。

少子化の時代ですのでそんなに「船寄」さんは増えないと思いますが、もし一生のうちにこの苗字に出会うことがありましたら、それは貴重な経験だと思って下さい。鳥取、東京圏、大阪の船寄さんは、ほぼ親族だと思います。

ありふれた苗字に生まれたらどんなに良かったか。そんなことを思ったこともありました。なぜ自分の苗字がこんなにも難解なのか、幼い頃にはよく思いました。誰しも自分の苗字に思うことはあるでしょう。珍しい苗字になって良かったと言っていた女性が親族にいますし、人それぞれでしょう。冒頭の写真は2004年の、私と祖父の写真。祖父宅脇の小路にて。今はもうこの家もなく、祖父も鬼籍に入りました。今後夫婦別姓になるでしょうし、苗字の概念も変わってくるでしょう。天皇制が鍵なんですかね。

「名は体を表す」という通り、私は「船寄剛」そのものでしょう。もっとそうなってゆくことでしょう。寅年の蠍座のB型ですし、性格も顔も名前も濃ゆい、クドい人間に、さらになってゆくことでしょう。

「船寄」と書いて「ふなき」と読む方もいるそうです。ややこしいですが、その際にはぜひご確認を宜しくお願いします。


三嶋大社にて







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