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下北沢のザ・スズナリで、舞台「コスモス」を観る。

佐野史郎さん主演の舞台、「コスモス」を下北沢のザ・スズナリで鑑賞しました。

改めて、俳優という仕事はいい仕事だなあと思いました。

観客の前で生身の身体をさらし、生き様をさらす。
そして問う。
逃げ場がなく、誤魔化しが効かない。
賛否の明暗がステージ上からは如実に見えてしまうのではないか。

映画やドラマのように修正や撮り直しもない。
台詞がスムーズに出てこない場面もいくつかあり、
それは生身の人間が行う所作であることを深く実感させされる。
フィクションをドキュメンタリーという生身の身体を使って創作している。

太古より続く身体表現。
PlayはPrayにもなり得る。
天や神などの大きな存在に捧げられてきた儀式でもある。
役者の身体や言葉には彼らの生き様以上のものが、
それこそ人類の記憶や歴史が宿っているのかもしれない。

時には大声で叫び、走り回り、笑い転げる役者たちの所作の連続に、
そんな太古の記憶を感じた。

舞台は生モノだとよく聞くが、写真もまた生モノだと感じる。
ポートレート撮影も撮影者と被写体で舞台をやっているようなものだ。
誤魔化せない生き様が如実に漏れ出てしまう。
それを互いに感じ合い、呼応し、1枚のポートレート写真が生まれる。
儀式でもあり、生命の記憶の回顧、邂逅でもある。


そんなことを3列目という幸運な席で観劇しながら考えていた。

物語の設定は鳥取県米子市が舞台であったが、少し離れた私が生まれ育った町の地名が頻繁に出てきて驚いた。東京の文化の中心の街で、自分の故郷の、自分の一部でもあるような場所の名前を連呼されることにとても感激した。これは一体何が起こっているのか。大袈裟に考えてしまう。
機会があればそのいきさつを佐野さんに伺ってみよう。


これまでも舞台はいくらか観てきました。しかしいずれも比較的大きな劇場で、出演者も有名どころが多数出ている、比較的わかりやすい演目が多かった気がします。今回のような小劇場は初めてでした。でもその手弁当のような運営に温かさと懐かしさを感じ、もっと足を運ばなければと感じました。そして生まれたてのようなフレッシュな役者の息遣いと来し方の結晶をダイレクトに感じ、私自身も同調しながら、深く深く太古の記憶に沈んでいきたい。そう思いました。


今回は佐野史郎さんが出演されているということで観劇しました。
映画やドラマ、文筆や歌など多方面で活躍されていますが、佐野さんの舞台を観たのは初めてでした。佐野さんのキャリアのスタートは劇団シェイクスピアシアター。舞台は佐野さんの原点でもありますね。そんな佐野さんのホームグランドで色々なことを感じられたのはとても良かったし、郷土山陰の大先輩から僭越ながらほんのいくらかの、大切な何かをリレーして頂いたのではないかと、そんな充実感を勝手に抱き、劇場を後にしました。


大学生の頃、演劇に傾倒し、中退した仲間がいました。
そして数年後、テレビのバラエティ番組で彼の姿を観ました。
若者の困窮ぶりを面白おかしく伝える番組でした。
演劇にハマり、そんな番組に出て人生をさらす彼の生き方がよくわかりませんでした。私が会社員をしていた20代の頃です。

それから随分月日が経ち、彼が今でも舞台を続けているのかわかりませんが、人生を賭けるような宝物を、輝きを、舞台に見出したのだろうと今では少しわかるような気がします。他の演者と互いの人生をぶつけ合い、観客に露呈し、称賛される。そんなボクサーのような恍惚を多感な時期に知ってしまったのだろう。それはとても甘美だろうし、快感だっただろう。


まだキャリアの浅い役者には、とても未来と夢を感じます。
そんな彼ら彼女らの応援が何か出来たらと、
50の齢を前にして思うのでした。






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