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首にはタオルを巻いて。ゴム長靴を履いて。

週末は畑をやっていました。この4月から市民農園を借りて畑をすることにしましたが、全くの素人で何をどうしたらよいのかわかりません。まずは道具ということで、自宅近くでごはん屋さんを営む知り合いに色々と訊き、歩いて30分ほどのところにあるホームセンターへ。鍬と長靴を購入。そして歩いて5分のところにある別のホームセンターで肥料を2種購入。金物屋でジョウロも買いました。

ようやくそれらを持って自宅から歩いて5分ほどの畑へ。長靴を履き、タオルを首に巻き、ジャージを履いて耕すことに。冒頭の写真のように幼い頃から祖父母の農作業の様子を観て育ち、なんとなくわかっていたつもりですが、鍬を使うコツを掴むまで少し時間を要しました。そして普段使わない筋肉を使い、しない動きをするせいで背中や腰が痛くなりました。すぐに思ったのです。おじいちゃんはすごいなあと。祖父は冒頭の写真のような感じで90歳近くまで米を育て、畑で野菜を育てていました。祖母が病気がちで少し早く亡くなったこともあり、ほぼ一馬力で農作業をやっていました。米、梨、苺は出荷もしていました。相当なマイスターだったと思います。同じことは母方の祖父母にも言えて、ふたりはさらに大きな規模で田畑をやり、メロンも出荷していました。

「写真を撮ってないで手伝え!」と、父方の祖父によく言われていましたが、ようやく私も東京で畑をやることになりました。わずか15平米の小さな土地ですが、無限の可能性を感じています。この週末は晴天で畑脇の桜が舞うなか、多くの老若男女が畑に勤しんでいました。私の区画の隣では手際の良い男性が短時間で畝を作り、肥料を混ぜ、耕していました。一切の無駄がなく、洗練された手品を観ているようで美しく、私の他にも手を止めて観ている人が何人かいました。わからないことだらけなので全てが勉強、吸収する教材になります。広大なフロンティアが私の眼前に広がっています。

私は自分の写真作品を深化させるために畑を始めた部分が大きいですが、畑はちょっと巨大な仕事すぎて慣れるまでは、感覚が掴めるまでは写真と結びつけて考えるとか、ちょっと難しそうです。眼の前の土に集中するしかなさそうです。

私はこれまで半世紀近く生きてきましたが、まさか自分が畑をやることになるなんて思ってもみませんでした。農民の系譜に生まれていますが両親は勤め人でしたし、田畑や農作業は近くにあって遠い存在でした。写真をやっていなかったら畑はもっと縁遠い存在だったと思います。

人生は不思議で面白いものです。郷里の鳥取県にいた頃は高校を卒業したら東京に出たいと思っていましたが叶わず、大阪へ。しかし大阪の水がとても合い、大学時代の仲間や会社の同僚に囲まれ、関西の女性と一緒に暮らし、ずっと大阪で楽しく過ごすつもりでしたが、転勤で東京に移ることに。何か表現の道に進みたいとおぼろげながら高校時代から思っていましたが、写真を選ぶなんて思ってもいませんでしたし、ずっと流転の人生だったように思います。その時その時で好奇心と直感に従い、ベストを尽くしてきましたが、郷里で共に野球に打ち込んだ仲間とは全く違う歩み方になっているような気がします。それも面白いと思いますし、それぞれが原初の欲望や宿命に還ってゆくのでしょう。

私の畑ライフが今後どう転がっていくのか、とても楽しみです。興味の対象や視野が広がり、世界の見え方も変わってきました。これまで園芸コーナーは流れ去る風景に過ぎませんでしたが、今は私の暮らしに関係のある世界となりました。

食べることや食物を育てることは生きていくことの土台ですし、世界の土台でもあります。牛歩の歩みながら少しずつそれを体験し、視野を広げ、仲間を増やし、改めて自分がいま生きているこの世界の成り立ちを理解することにもなるでしょう。こうやって言葉や文章にすると分不相応な壮大なものになってしまいますが、まずは種や苗を植え、その小さな成長を実感し、喜ぶ。小学生の頃に感じたような、そんなピュアな気持ちから始まることになりそうです。





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