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監督との密約

「次の中間テストで学年1位になったら、レギュラーにしてやる」

私が中学2年生のときの話。
野球部の監督(社会科の教諭でもある)から、そう言われた。

3年生が引退し、新チームで新人戦を迎える前、レギュラー格として練習試合に出場していた私はヒットが出ず、スランプに陥っていた。一方、ライバルのN君は少ないチャンスのなか、巧みなバット捌きで快音を飛ばしていた。その状況からの、監督の発言だった。

そもそも1位なんて馬鹿げた話。無理である。無理だと監督にも言った。それは後に医者となるS君の指定席だった。監督の言葉を受けて机に向かう時間を増やした記憶もない。冗談なのか、本気なのか。ちょっと困ったなあという感じだった。

果たして試験の結果は。

迎えた新人戦。
三塁の守備位置には私の姿があった。それは引退まで続いた。

野球の神様なのか、勉強の神様なのか。どちらかわからないが、私に一度きりの奇跡を与えてくれた。
その奇跡がなければ、監督はどうしただろうか。
この”密約”は、誰も知らない。

その後、N君と私は別々の高校に進み、彼はレギュラーとして、私は控えとして、お互い3塁を守った。試合で何度か対戦したが、一度だけ、彼の前でホームランを打ったことがあった。

レフトスタンドに落ちる打球に自分でも驚きながら、彼の守る3塁ベースを無言で蹴り、ホームインの瞬間に胸の前で一度、パチンと手を叩いた。

”密約”からの解放。

あの時、レギュラーとしての力量は、確かにあったんだよ。自己満足だけど、それを少しは示せたんじゃないかと、自分なりに折り合いを付けた。

その日はとても調子が良かった。安打はホームランの一本だけだったけど、それよりも鋭い打球が2つ、ショートとレフトの正面を突いた。少し長い時間を経ての、面目躍如でもあった。相手チームには他に、かつての仲間が何人かいた。

”密約”を持ちかけた監督は、間もなく定年を迎える。元気だろうか。機会があったら、あの時の真意を聞いてみたい。もしかしたら忘れてしまっているかもしれない。
そしてN君はどうしているだろうか。卒業後、音楽をやっているというニュースをどかかで見かけた。

もうすっかり時効だろうし、密約や機密はいずれ日の目に晒される。
それを知ったN君や、他の仲間はどう思うだろうか。

私は高校3年間で目立った活躍は出来なかったが、恩師と仲間に恵まれ、心身共に自分を追い込めたことを、今でも糧にしている。
それはあの、”密約”を経てのことでもあると、私はずっと思っている。







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