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フィルム3本で100枚ちょっと

先日、現像所の帰りにヨドバシカメラで買物をした際、後列の若い男性がフィルムを3本持っていました。連れの仲間に「それ3つで何枚撮れるの?」と訊かれ、彼は「100枚ちょっと」と答えていました。コダックのフィルム3本で、計五千円くらい。私が写真を始めた2002年に比べると、5倍くらいになったでしょうか。気軽に始める趣味としては結構ハードルが高い、貴族の遊びになってしまった感じがします。特に経済力が著しく凋落した、この国の民にとっては。

フィルムを買った彼はこれからどんな写真を撮るのでしょうか。
仲間との楽しい時間。美しい風景。彼女との愛おしい時間。何気ない家族との時間。どうしようもない自分に出会った瞬間。
いずれにしても続けてほしいですね。細く長くでも。

変に訓練されていないのであれば、1シーンにつき1シャッターでもいいかもしれません。そうすれば100シーン以上撮れますね。時間があれば、じっくり観察して撮って。さらに撮った写真をじっくり観て、考えて。
そうすれば、決して高い買い物ではないかもしれません。

私が写真を始めた頃のことを思い出してみますと、酷い有り様です。機械オンチでフィルムの着脱をカメラ屋さんに毎回お願いしたり、途中で裏蓋を開けてフィルムを感光させたり。当時の彼女には日の丸構図ばかりだとうんざりされたり。それは今でも変わりませんが。

やはり一番は撮ったときの感動や衝撃、衝動が、なかなか写真に写らないこと、再現できないことに苦慮しました。これは後年、暗室ワークを身に付けてからいくらか改善しましたが、そもそも次元の違う処方箋かもしれませんし、永遠の課題ですね。

先の1シーンにつき1シャッターの件、最近私も心がけています。
本当は2〜3シャッターが理想なのですが、最終的にセレクトしてプリントして行く着くのは1枚なので、潔いかなと。
元々写真を始めた純粋無垢で無知な頃はそうでしたし、精度は低いですがそれなりに大事なモノやコトを押さえられていたものもあるし。複数枚撮るのは仕事などの撮り直しが困難なときや、これぞという作品制作のときでしょうか。

撮り直しが効かなくても一期一会。それも人生。ケセラセラ。また違う何かに出会えるさ。そんな軽佻さも併せ持っていたい。色んなことに出会うことの方が大切かもしれない。

確か中平卓馬さんは1枚、佐内正史さんは2枚。
何かで読んだのか、酒席で御本人から直接聴いたのか、その両方か。いずれにしても楽しい話です。いろんな写真家のコンタクトシートを観るのも楽しいですね。哲学や人となりが見えてきます。

いずれにしても先のフィルムを持っていた若者のような、これからフィルムカメラを始める方々には、無理のない範囲でたくさん撮って欲しいですね。フィルムにしか写らないもの(表現できないもの)があり、たくさんのプロセス(手数、手垢)を経て写真が出来上がる楽しさもあります。

健闘を祈ります。若者に未来あれ。

というのは古いですかね。








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