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「耐えて久しい」と書きます!

甲子園が始まっている。まだじっくりと観ていないが、出場校は把握している。毎回チェックするからだ。今回の出場校では和歌山の耐久高校に注目していた。過去、その高校の卒業生に出会ったことがあり、校名にインパクトがあったからだ。彼は私が会社員をしていた頃の後輩だった。

彼は出身高校を説明するときに、「耐えて久しいと書いて、耐久高校です!」と言った。そんな校名があるのかと私は半信半疑だったが、本当だった。甲子園初出場でその校名を知った人も多いはずだ。後輩はアルプススタンドにいただろうか。少しだけ中継を観たが、いいチームだった。相手が違っていれば勝っていたかもしれない。

郷里を離れ様々な人々と出会うなかで、相手の出身高校を知る機会がある。それが野球強豪校かどうか、私は思いを巡らせる。球児あるあるだ。これまで色々な人に出会ってきたが、甲子園出場校の卒業生は思いの外少ない気がする。

私がすぐに思い出すのが、大阪桐蔭、神奈川桐蔭、川西緑台(兵庫)、高田(奈良)、龍ケ崎第一(茨城県)、市岡(大阪)あたりで、それは私が彼らと親しかったり、何度も会う機会があったせいだろう。大学の仲間のひとりは大阪桐蔭応援部の出身で、初優勝のときにはアルプススタンドで声を枯らしていたという。1991年のことだ。

作新学院で主力だったという若い農家に撮影仕事で出会ったことがある。その仕事を依頼してくれた編集者の母校もその後まもなく甲子園に出た。私の母校は30年近く出場していないが、2020年のコロナ禍で開催された独自大会では優勝した。昨秋の代替大会で彼らは甲子園の土をようやく踏めた。

そういえば私の会社員時代に、私の野球部の先輩と大学の寮で相部屋だったという先輩もいた。米子東高の出身だと聞いた。東京で出会った写真家には鳥取西高や八頭高出身の方もいる。いずれも甲子園の常連だ。このように私の人間関係には甲子園や高校野球が無意識下に同居している。野球が思考の中心になっている。

我が子が甲子園に出場した同級生や後輩もいる。どんな気分だろう。私はそういう年代だ。子どもがプロやメジャーリーガーになる人が出てくるかもしれない。もしくは配偶者になる人も。

私はこれまで決して多くはないけど、撮影などを通して色々な職種の人と出会ってきた。たとえば芸術家や俳優、起業家やアスリートなど、郷里にいてはなかなか出会わない職種の人たちだ。テレビや新聞など架空の世界の人が、たちまち現実の中の人として立ち上がる。とてもびっくりする。そしてごく稀に、そんな著名人が私の友人知人と縁者であったりする。遠い世界の人が急に近くなり、遠近が混乱する瞬間がある。世間は狭く、人生は不思議なものだ。

最近私が感じているのは、自分が強く思うことは、やがて人間関係や出会いとなって現れることがあり、その意味を深く考え、行動に移すことが次のステージに繋がるのではないかと思っている。とても小さなサインやヒントでも、細い糸がその人や出来事に繋がっていることを確信できる。私は日々、それを逃さぬように目を凝らし、耳を澄ませている。もちろん、ただの勘違いも多々あるけど、それも含めて迅速に動き、確認するように心がけている。おそらく自分は何をする人なのか、予め決まっている。それを探し、惑い、見極めながら目指していくために人生はある。私は年々そう感じている。そのように出会いや出来事は用意されている。仕組まれている。

甲子園の話だったのが運命論者のような話になってしまった。私は特に占いとかわからないし、たまにしいたけ占いを観て一喜一憂しているくらいだが、そのように感じて日々生きている。結局ある意味、生きていくには、「耐えて久しく」というところでしょうか。




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