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町中華と天使のさえずり。

小咄をふたつ。

昨日は久しぶりに隣町の町中華へ。
歩いて20分ほどの距離。
途中にある公園で鉄棒にぶら下がって腰を伸ばし、
今日は何を食べようかと考えながら、てくてくと歩く。

今日は生姜焼き定食の気分。
町中華だけど。
この店は何でも美味しい。
ご飯はいつも大盛りを頼む。
今秋50歳の男。

猫舌の私はフーフーしながらゆっくり食べていく。
大盛りのご飯は昔テレビで観た日本昔話に出てくるご飯のようだ。
店のテレビでは徹子の部屋をやっている。
ゲストはDAIGOだ。
数年前、家族3人で歩いているところをお洒落タウンで観たことがある。

美味しく頂き、レジへ。
会計時、値段が違っていることで初めて気付く。
私が食べたのは生姜焼き定食ではなく、Aランチだったのだ。
美味しくて全く気付かなかった。
オーダーミスに特に触れることもなく店を出た。
清々しい気分だ。

帰りにどこかでお茶をしたかったが、目ぼしいカフェはどこも満席で帰宅する。そして借りている市民農園に行って2日振りの収穫。
トマト2種で計40個。オクラが少し。
そんな一日だった。


そして、天使のさえずり。

毎朝7時過ぎ、天使のさえずりが聞こえてくる。
とても気持ちがよく、その日を素晴らしい気分で始められる。
声の主は少年だ。
小学校高学年くらい、大柄で声変わりをしていない、
いつも母親と一緒の、知的障がいのある少年だ。

彼が毎朝通学時にとても大きな声で母親に話しかける声が、
私にはとても美しくて汚れがなく、ナチュラルなものに感じられる。
いつも心を洗われている。
彼のことを私は「天使」と呼んでいる。
そして母親のことがとても大好きだということが伝わってくる。
とても清らかなエネルギーが、波動が伝わってくる。

先日は急に雨が降ってきたらしく、
「お母さん、雨宿りしよう!雨宿りしよう!」
と連呼する声が聞こえてきた。
そしてその美声はいつものように徐々に遠ざかっていった。
彼が毎朝どこに通学しているのか、私は知らない。
でも時折その親子に遭遇する。
幸せな気持ちになる。

色々と大変なこともあるとは思うが、
母親からそんな雰囲気は感じられない。
私の主観でしかないのだが。

毎朝彼の声を聴くことが出来るわけではないが、聴けた日は大安吉日のような、大吉のような気分である。
やがて彼も声変わりをし、別の街に越してしまうかもしれない。
私の未来もわからない。
そう思うとこの奇跡のような声、歌のような調べを慈しみたいと思う。
そんなことを思う人は私以外にもいるはずだ。
きっとこの近隣にも。
声変わりをしたとしても、きっと素敵な調べは変わらないだろう。


町中華と天使のさえずり。
私の日常を彩ってくれる、ほっとさせてくれる、
素敵な人達である。







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