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「怒り」 も 「洗濯」 しよう 

人生は「選択」の連続、
そして「洗濯」の連続。

使って、汚して、洗う。
そして、
また使える新鮮な状態に戻す。

洗濯されたモノは気持ちいいし、
洗濯するから、長く使える。

洗濯は大事です。

「汚れ」は、
見ないように誤魔化しても、
忘れるという選択をしても、

決して落ちないですよね…、汚れは。
放っておくと悪化しますよね…、汚れは。
洗い落とさないと…、汚れは。

洗濯は大事ですよね。



日々、生きていると、
日々、仕事をしていると、
汚れも溜まりますよね。


「ウソ!」「なんで!」「嫌だ!」
と感じることもありますよね。


「嫌だ」と感じているのに、
その感情を、感じてないフリしても、
思ってないかったフリしても、
見ないようにする「選択」をしても、
我慢する、という「選択」をしても、
汚れは落ちないですよね。


ちゃんと、
「嫌だ」という気持ちを、
外へ、
出しておかないと、

「嫌だ」は本来の行き場を失って、
内へ、
「シミ」になりますよね。


そしてシミは、
思わぬ「悪さ」をしますよね。

例えば、
ちょっと手を抜いちゃったり、
軽く無視しちゃったり、
嫌味が出てしまったり。
優しさが出なくなりますよね。

怒りを洗濯して、
洗い流しておかないと、
新鮮な状態に戻しておかないと、

「だったら、こうしてやる!」的に、
悪しきバランスをとってしまいます。

本当は、
(自己正当化なんですけど…。)


でも、人間なんだから、
それぐらいしょうがないよと、
相変わらず、
自己正当化を上塗りし続けていると、


ある日、
シミは第二の形態

「歪み」に進化します。


ある時、
嫌だと思っていた相手が、

「困っている」
「弱っている」と、

「人として手を差し伸べよう」
「人として助けよう」
という感覚よりも、

ざま〜見ろ!


という、
自分でもビックリな、
気持ちがムクムクと湧きあがる。

負の気持ちが優勢な歪んだ感覚。

本当は消えてなかった汚れが、
シミが作り上げた怪物。

洗濯は大事ですよね。


さて、それでも自己正当化を続けると、
自分が傷んで行きますよね。

それ以上、自分を傷めないための葛藤から、
「変な選択」をし始めます。

さまざまな関わりを避ける「幽霊」
傍観者のスタンスをとる様になりますよね。


「怒ったら関係が壊れる」と言うのは、
都市伝説では?

それよりも、
洗濯をする事ですよね。


「怒るべきときは怒る」

というのが、
気持ちを新鮮な状態に戻す「選択」


そして、
怒りは、小さいうちに

「洗濯」











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