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🇲🇲ミャンマー夜の街@ヤンゴン2016 #1

◆2016/7/17 ヤンゴン。
ディスコ「エンペラー」にて

ミャンマーは東南アジアでも最貧国の1つだ。
ことナイトライフも脆弱で、「ディスコ」と呼ばれるクラブが唯一の買春温床地となっていた。
この「ディスコ」とは80年代に一世風靡したディスコそのものであり、
ミラーボールを吊るしたステージを設けたもので、市内に3,4か所あるとの話だった。
その中で最も規模が大きい「エンペラー」を目指した。

19:00すぎ、ホテル近くでタクシーを拾い、「エンペラー」と告げると、「分からない」と言う。
何度か発音していると「アンパイア?レディー?」と言ってきたので「イエス」と言うと彼はニヤリとした。

ヤンゴンの夜は暗い。以前首都だったとは思えないほど汚れていて、
イギリス時代のカビた建物が整然と並ぶ街並みの足元はゴミとネズミだらけだった。

IphoneのGPSを見ると「エンペラー」と自分の位置が重なった。
ドライバーは「アンパイア!」と叫んでくる。降りるとそこは二車線ずつの大通りで、
ぐるりと体育館のような巨大な長屋が建っていた。
そこには灯りはなく、暗がりに目が慣れてくると建物の一階部分に数人の男がゆらゆらと不気味にうごめくのが見えた。

5, 6人の褐色のインド系ミャンマー人が、正面玄関の階段の上を行ったり来たりしている。
異様なのはその風体で、七月の雨季の季節に、蝶ネクタイと長袖のカッターシャツを着ている。
唯一の街灯がピンク色の派手なネオンで記された「夜総会」とある中国語の看板で、
彼らを蛍光ピンクに染めては消えて明滅していた。

タクシーから降りた場所からその「夜総会」の看板まで30mくらいはある。
その唯一の灯りが「エンペラー」である可能性が高かった。
そしてゴミが舞う暗がりの大通りを1人で歩くことになった。

近くにくるにつれ、男たちの姿がハッキリ見えてきた。
真っ黒といえるような褐色の肌。瘦せこけた頬。
時代錯誤の蝶ネクタイにベストまで着込んでいるものもいた。

私は彼らに向かって臆することなく歩を進めた。

臆することなく。
私は自分に言い聞かせた。

「大丈夫。去年も来たじゃないか」

ーータケシ

〈続く〉

→ ミャンマー夜の街 @ヤンゴン2016 # 2

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