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🇹🇭ジュライホテル、楽宮ホテル廃墟@2018バンコク

この写真の奥のホテル。見てピンと来た方は80年代、90年代にバンコクにどっぷり浸かった旅の先輩方であろう。

「ジュライホテル」の廃墟だ。
1995年に閉鎖された。

日本人バックパッカーの聖地。ジュライホテル。そしてこれまた閉鎖済みのもう一つ。谷恒生の小説で有名な楽宮ホテルの廃墟も訪ねた。

場所はファランポーン駅西側にある運河を北上すると寂れた街があるので奥にはいってうろうろすると見つかる。

先ずはジュライホテル。

入り口の門には鉄格子に大きな錠前がある。
そこから手を差し入れて、iPhoneでデジタルズームする。

かつてこのエレベーターを使って多くの日本人が殺到した。80年代にピークを迎え、95年に唐突に閉鎖されて、建物だけが壊せずに残ると聞く。経済がイケイケドンドンのバブル期の日本を捨ててここに泊まる。しかもネットもない時代。

彼らがいかに本気でアジアに身を投じたか、頭が下がる思いだ。

当時の日本と高度経済成長前夜のバンコクでは物価の差が激しく、今の我々とは全く違う金づかいをしていた旅行者がパッポン等でハバを効かせたはずだ。

そんな日本を知らない(よく覚えていない)私には、そんなバブル期になぜこんな小汚いホテルに先輩方は長期滞在したのか大変興味がある。

だからこの時代に取り残されたようなヤワラーに来たのだ。

続いて、楽宮ホテル。
「バンコク楽宮ホテル」という谷恒生の小説の舞台だ。生々しい70年代後半のバンコクが記録された貴重な書だ。

一階は閉鎖。物置になっていて入れない。
かつて日本人がたむろした食堂ももちろんない。看板だけは化石のように残っていた。

「楽宮大旅社」とある。
こちらもジュライホテルの閉鎖後数年で閉じた、と聞いた。

周囲のヤワラーの街並みの寂れっぷりも相当だ。数年後には近くに地下鉄が走るという。

その後、ヤワラーが生まれ変わるとしたら、カオサン同様に一変するだろう。

この廃墟達の寿命も近い気がした。

楽宮ホテルのフロントに続く階段。
入りたい欲求はあったが、入り口付近の工事現場の男達の仕事の邪魔になるし、不法侵入に問われたら嫌なので写真だけ。

最後にジュライロータリーに戻り、しばらくジュライホテルを眺めていた。

辺りは人がいない。
濡れた路面と古い建物。

奇妙な化粧をして、道に座り込む老婆が
「500バーツ」と言ってきた。
めぐんでくれ、ではない。
その値段で私を買って、という意味だ。

とてもここがかつてバックパッカーで栄えた赤線地帯とは思えないほどに寂れていた。

「まさかパタヤやナナが将来寂れたりしないだろうな。疫病でも蔓延しない限りは。」

ーータケシ

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