転職エントリー(東大の博士課程・理研JRA→(株)リクルートのデータサイエンティスト)

私は誰?

手嶋毅志といいます。これを読んでくださる方は知り合いが多いと思いますが、2022年3月に東京大学新領域創成科学研究科で博士課程を修了し、博士(科学)を取得、2022年4月からリクルートに入社しました。

博士課程の学生、そして理化学研究所JRA(大学院生リサーチアソシエイト)という研究職から、データサイエンティストという事業に入っていくロールへのジョブチェンジだと思っているので、転職エントリーとしてご報告&大学院でのあれこれをまとめました。

自己紹介(英語): https://takeshi-teshima.github.io
自己紹介(日本語):https://takeshi-teshima.github.io/ja

TL;DR

  • 今年度から、株式会社リクルートという日本の会社で働いています。研究職ポジではなく、事業にどんどん入っていく性質のデータサイエンティストとしての入社です。

  • 自分にとって、「物事を一から始めてビッグにやる」ためのノウハウを吸収して、アイデアの引き出しを増やすステップという位置付けです。

  • まだ入社後一週間程ですが、研修の目次すら新鮮で、企業体に蓄積された組織的能力から学びまくっており楽しいです。自分が声掛けしなくても毎月どこかで沢山の人が入社していて、自分が人集めをしなくても誰かが自分と同じプロジェクトで働いているということも新鮮です。

  • 新しい分野への参画なので、1年くらい目に見える成果が出ないこともありえるという心持ちで、焦りはほどほどに抑えながらやっていこうと思います。せっかくリクルートにいるので、ビジネス開発についても色々勉強・実験するつもりです。

  • 研究者養成所というつもりで憧れて大学院に入った「研究シンパ」タイプなので、長い目で見て研究から身を引くということもありません。研究にもアカデミアのコミュニティにも関わり続けたいと思っています(共同研究も発表もすると思いますし、学会運営とかも手伝います)。企業所属の人間として「基礎研究だいじ!!」とも言って周りたいところです。これからもよろしくお願いします。

  • 「リクルートへの就転職は考えたことなかったけど、手嶋もいるらしいしちょっと考えてみるか」とかなっちゃったり(しないか)


以下の怪文書について

以下は大学院でのあれこれを思い出しながらメモです。読むに堪えるか分かりませんし気遣いも不十分かもしれないので参考にならなければそっ閉じしてください。

記憶が鮮明なうちに書かないと、色々と薄れてしまうので・・・整理していないため読むに堪えるか分かりませんが思い出せるうちにバージョン0として書いておきます。

大学院入学まで

  • 学部3年生頃に、急激なモラトリアムが訪れました。「自分はこれから何になるんだろう・・・」

  • 自分はどのように生きたいか。何をして生きていきたいか。この問いをしばらく考えて色々やってみた結果、当時の答えが「研究をしたい」でした。これは「人類の未来を作りたい」と自分の中で同義でした。研究は「未知」を探検し、「未解決」問題の解決法の目処をつけ、未来の人類が歩く道を舗装する仕事です。これが止まると人類の進歩が止まる。未来への備えでもあり、未来の可能性を広げる仕事。

  • これを自分もできるようになりたい。それが研究者養成所としての大学院に行こうと決めた理由です。

  • 見てみると、2016年の後半ぐらいに最初の「研究ノート」と題したバインダーを作っていたようです。

  • この頃から色々な方にお世話になったり相談させて頂いたり(特に慶応大の星野先生、東工大の渡辺先生、統数研の福水先生、東大の岡田先生に、超貴重な時間を取っていただいて色々なご相談をできたのがとてもありがたかった)しながら応募先を考えて、東大新領域の杉山研に来ることになりました。(なお院試期間は結構病んだ・・・)

悩み深い修士課程時代

  • 大学院の5年間では、修士課程が一番辛かった。。。特に修士課程の一年目が辛かった。

  • 弊研は自他共に認める放任主義でした。(日本の情報系には多い気がします。)これには良い面も悪い面もあります。

    • 良い面は、研究の最も大変で、最も本質的な作業である「テーマ設定」に、初手から取り組めるという側面。テーマというのは「何を研究するか」(=研究課題設定)のこと。

    • 詰まるところ研究者の最大の存在意義は「これが将来必要になる、だからやるぞ」と指し示す「先見の明」=ビジョナリー的な側面であり(次に解決策を発明/引っ張り出してくるという解決者な側面)、ここを真っ先に鍛えられるのが「放任主義」=「テーマが降ってこない指導」の有用な側面。

    • 放任じゃなくてもできるのでは?という気持ちは当然あるが、干渉主義に振れすぎてしまうぐらいなら放任主義の方がまだ良い(上記の側面を鍛えるためには)という気がする。

    • (なお上の「将来必要になる」は「重要かつ可解な問題」とか研究の種類も色々あり時々によって違う)

    • 悪い面は、成果が出づらいのでとんでもなく辛いところ。特にビギナーである自分にとっては辛すぎた。いわゆる産みの苦しみ。パートナーも「あの頃本当に大変そうだった、顔が暗かった」と言っていた。

  • なお放任主義とはいえ、先生にアポを取ればミーティングを数日以内ぐらいでいつでも設定できるし、同僚や計算資源などのリソースも手元にある。ただ実際に何の研究をするか、についてはとにかく苦しんで見つけないといけない。

  • ちなみにこの頃、杉山先生に長文で悩み相談メールを送り、その後すぐ電話がかかってきて1時間ぐらい悩み相談をしたのはいい思い出。当時すでにセンター長3年目くらいで多忙を極めていたはずなので、迷わずすぐ長時間取ってくれてすごいと思った記憶がある。

  • 放任とはいえ、セミナー発表の時なんかには、テーマ設定について根本的なフィードバックが杉山先生から出ていることも多い。この「審美眼」が研究者の最大の資産なんだろうなということも見えてくるし、フィードバックが重要な方向修正になって良い方向に進む例も多く観察できる。だからテーマが降ってこないとはいえ、テーマ設定に関して(他の学生のセミナーで先生がどんなコメントやフィードバックをしているか、などを見ていると)学び取れる要素が常にたくさんあった。

  • 研究の方向性という最重要な要素については先生が積極的にフィードバックをくれる(ただし最初にテーマを持ち込んだところからやっとそれが始まる)ので、自他共に認める放任主義とはいえ、ツボを押さえているんだななんて思っていた。

  • 大雑把に言って自分の場合、テーマ設定は杉山先生に、研究の進め方は佐藤先生に学んだ、という気がしている。

  • 特に最初の一年間は、頑張りまくったが成果が出ず。アイデアを試しまくり、毎日ノートを書きまくり、ラボの人に相談しまくったり、かなり色々思うところがあったが、一年ほどした頃にぐっとマインドセットが変化した。

  • 散々悩んだ挙句、次の学びたちを得た。

    • 成果は努力に比例しない。ただし成長には成果が比例してついてくる。(当たり前に思えるが、「研究テーマ設定」のような特殊な作業にもそれが当てはまるということを学んだ。何をもって「研究テーマ設定能力の上での成長」とするかは人による)

    • 研究テーマの見つけ方にセオリーは(残念ながら)ない。だが「研究テーマの探し方」の作法はある気がする。探し方は人による。自分が杉山先生の話を聞いて学びとったのは次の2つ。

      1. 論文を読むとき、「そんなわけあるかい」と常に言いながら読む。「そんなことができてたまるか」と。それでも出来ているっぽければ仕方ない(&悔しい?)ので、よく読む。この読み方をすると、「著者が本当はやりたい、が難しくて手が出ていないこと」などの、未解決課題に目が向くことがある(あくまでrule of thumbではある)。

      2. 「小さなサイクルで研究をする」。常に「自分がやっているテーマ」を設定しておき、常にアイデアを出し続ける。そして「その研究を進めるための情報収集」をしていく。これを繰り返すことによって研究テーマを探す。「これを解くぞ→だめかぁ」「これを解くぞ→だめかぁ」と繰り返していく作業を通じて、100個ぐらい研究アイデアを作り、検証し、そのうち100個ぐらいがすぐにダメであったことが分かって潰れる。そのうちに1個ぐらい「解けると嬉しくて、今回のアイデアで初めて解ける」研究課題(=重要性と新規性)の芽が生える。

    • この辺りから研究のサイクルを変えた。2週間1サイクルで研究テーマを検証していくことにした。1週間目に研究テーマとアイデアを頑張って考える。具体的には、「これ研究になるかも?」という問題を捻り出し、ノートで計算して自分なりのアイデアを作り、「そんなん誰かやってるでしょ」という観点で批判的なサーベイもし、新規性と重要性が(小さくとも明確に)あるアイデアの形にする。2週間目に実験とさらにサーベイをして、「本当にいけるのか」検証をする。大抵ダメだが、ダメならダメでいい。原因を考える。次のアイデアを考える。

    • 放任主義は恨めしいが、仕方ない。そして何より、放任の中でも研究を進める方法を身につけるためには最良の環境だ。考えてみれば、研究者は(少なくとも学位を取って独立した研究者になるなら)必ず誰しも「自分が開拓者である」という「本質的な孤独」に出会うことになる。テーマが降ってくるなら指導者が自分より前に立っている可能性があるが、研究者が独立したら何かを教えてくれる指導者は(何もしなければ)いないわけで、そこでは本来的に孤独になる。いわゆる「経営者は孤独」というのと同じ意味で。

    • (人によってはその孤独をものともしない人もいるが)どうせ向き合わねばならないなら、この放任主義かつリソースがふんだんな環境こそ、「孤独」の乗り越え方を練習して鍛えておける機会だ、と考えることにした。

    • どう孤独を乗り越えるか。先輩や同期で論文が出た人たちは、ほぼ全員、共著者がいることに気がついた。あ、そうか、共同研究してくれる人を見つけよう。そこで声の掛け方・相談の仕方を変えた。自分のアイデアを相談するとき、最後に必ず「議論ありがとうございます。もしうまくいったら、共著で論文書いてください」とお願いするようにした。共著となればただのディスカッションではない。自分の成果に繋がる可能性があるから、積極的に考えてくれる。自分の研究を考えている人が、自分だけじゃなくなる。先生に研究テーマの意義を説明して売り込むときも、自分一人じゃなくなる(当時の杉山先生からは「内なる査読者」のようなスタイルで切り込むフィードバックが来るので、討論が必要だった)。そういう理由で、「仲間の見つけ方」を身につけようというマインドセットになった。

    • ついでに、ミニマムで仕事をするのが至高というマインドセットも教わった。結果が同じなら仕事量を少なく済ませた方が偉い、と杉山先生は時々話してくれた。「みなさん放っておくと頑張るから、私は『仕事しましょう』とは言わなくてよくて『みなさん、休みましょう』と言わなきゃいけないんです笑」と。ここから「いわゆるキャパシティの正体は、同じ仕事を速く/効率よくこなせる力ではなく、仕事を圧縮して減らせる力なのかもしれない」という学びを得る。

    • 杉山先生は「研究者は総合力の勝負」と言っていて、それはとても腑に落ちている。「人を集めまくって成果が上がりまくるセンターを運営・拡大する」という形で研究の世界に貢献している人が言うのでとても説得力がある。杉山先生ともなると一人の研究者としての動き方とは違ってくる気もするが、結局どれだけの価値を生み出したかの勝負なら、総合力が物を言う。

  • ここまでがM1の10月ぐらい。そこからは、IRCNという研究センターの発足に伴って医学系研究科の方々と研究議論を始めたり、色々試行錯誤していた。

    • (医学系の研究者の方々は良い人たちで色々教えてくれた。今の自分がもう一度同じことをしたらテーマが生える可能性はあったかも)

  • そうこうしているうちに、自分の最初の論文に繋がるアイデアが芽生え、成果がようやく出始めた。柏の図書館ラウンジで最初の実験をして想定より面白い結果が出た時の興奮は今でも覚えている。これが大体、M1の1月ぐらいのこと。そこからもM2の6月くらいまでは試行錯誤があり、Miaoさんという素晴らしい専門家にも味方についてもらって、2018年9月ごろにAAAI-19に投稿し、採択された。

  • そうしてM2も終わり、初の学会発表、方々での発表、研究科長賞を頂いたり、理研でパートタイマーとして採用していただいたり、翌年に若手シンポで招待講演に呼んでいたいたりと、初めて尽くしの充実した時間が進んだ。

悩んでいる人に言いたいこと/当時自分に言い聞かせていたこと

  • 「向いているかなあ」と心配しているなら、その時点でよっぽど素質がある。そのスキルが自分にとって重要な意味を持っていることを既に認識しているということだからです。「これをできるようになる必要がある。才能はあるかどうか分からないけれど、自分にとって重要なことだと腹の底から分かっている」という状態なら、臆することはないし心配もいらない。どうせその道を通らない訳にはいかないからです。

  • 「何事も最初が一番辛い。だからしょうがない。大丈夫、一周目をやれば二周目はさらに楽になる。」初めて経験する物事は大変なんです。二回目はもっと勝手がわかってきてだんだん楽になっていきます。今とんでもなく辛いと思うなら、それは「初」であるせいかもしれません。その経験によって二回目からはずっと楽になります。

  • 勉強と研究の違いについて。

それ以外に修士課程ぐらいの時期の自分が考えていたこと

  • 査読は大事。査読者になったらマジで真剣に取り組むべし。理由はいくつかある。

    1. 論文が無数に生まれる現代。場合によっては、査読者である自分は「全文をちゃんと読む」唯一の読者になるかもしれない。

    2. 質の良い論文を送り出し、質の悪い論文を弾き出すという査読プロセスは、科学を成立させるための一段階になっている。その一役を担うという使命を負えるのは良い機会。

    3. 査読者として他人の論文の重要性・新規性などを論理的に議論することが、自分の研究の進め方に対しても良いフィードバックになる。特に、悪い論文をちゃんと落とすための議論を展開するのは骨が折れるが勉強になる。しかも、自分が査読を書いた後に、他の人が同じ論文をどう評価したかを見ると、「論文の評価の仕方」の一種の答え合わせになる。着眼点の類似性・相違性が参考になる。

    4. 論文の読み方が強化される。著者と同じ視座を獲得しようとする。論文の問題点や、本当は解きたいが解決策がなく手が出ていない課題などは、著者の視座から見ると一番よく見える。論文の裏側を読み取り、その論文を書いた人の立場から読めるようになっていく。

勝手が分かってきた博士課程時代

やっぱり修士課程の大変さを思うと、博士課程の方が幾分勝手が分かって、修士課程ほど気を病むことはなかった。

なお上述のように、「研究をできるようになる」ということを目標に大学院に来ていたので、博士課程に進学することは修士の入学時点でほぼ決めていた(先生にも最初のミーティングの時に聞かれてそう言っていた)。

国外の博士課程に留学する可能性も少し考えたが、AIPセンターという特大リソースもあるし、IRCNという要素もあるし、杉山研は国際学会が主戦場だし、「日本の外」そのものへの憧れというのも特にないし、新しい指導教員との関係構築から再始動するよりは、このまま勝手が分かってきた環境で博士課程をやる方が良いかと思いそうした。

(あくまで自分を棚に上げて言うなら、研究はどこにいても最初からメジャーリーグだし、世界の中心というものはないし、日本には母国として愛着があるし、「日本より良い場所」を目指すよりも「日本を世界の研究の中心地の一つにするんだ」という目標にロマンを感じる性格なのでそうなった)

  • AAAI-19がキッカケでIBM東京基礎研究所にインターンさせて頂いたり、色々と充実した日々が続いた。

  • M2の始まる直前に急に収入が60%カットになったりしてお金関連で困ったが、奨学金に応募しまくったり、バイトを紹介してもらったり、としているうちに、幸いにも理研のJRA(大学院生リサーチアソシエイト)として採択していただき、孫正義育英財団からご支援頂けることになったりで、大変ありがたいことに博士課程を継続できた。

  • 自分の研究から派生して生まれた「可逆ニューラルネットの近似能力解析」というテーマに、ICML2020の会期前後ぐらいから取り組み始めた。のちに共同研究者となる皆さんに順番にお声かけして、一緒に問題を考えてもらい、1年ぐらい議論してジワジワと進んだ。1年後ぐらいには最強共同研究者の皆さんのおかげでそれが解決し、NeurIPS 2020のOral論文になった。

    • 「早く行きたければ一人でゆけ。遠くへ行きたければ皆でゆけ。」ということわざを身をもって体感できた。

  • 2020年からはコロナ禍が到来、ほとんどのことはオンラインになった。

    • 実は学部1〜2年の時に参画していたNPO法人は、ほぼフルリモートで活動していた。その頃の感覚のおかげで、他の人と比べると自分はオンライン生活に耐性があったかもしれない。「人生で一番無駄な時間は移動時間」という言葉を信じていたので、通勤時間がなくなってむしろ捗った側面もある。

    • MLSSに現地参加できなかったのは残念。

    • どうせオンラインなら招待講演イベントでもやってみるかと思い、StanfordとMITの博士学生3名に話していただくトークイベントを開催したりした。

  • 自分のメインテーマの論文もいずれも順調に採択されて、2021年の夏頃から博論を書いた。

  • この間に、共同研究で同僚の研究を手伝わせてもらったり、それが順番に論文になったりした。結果、共著も含めて、在学中の論文はどれもどこかしらで採択されていてスッキリ。

  • 2022年の年初に無事に博士論文審査を通過し、博士号を拝受した。

  • (発表にもうちょっと勢いがあれば...とのことで研究科長賞を逃したことは悔やまれます。。。)

次のステップへのきっかけ

上に書かなかった、現在につながるいくつかのことがある。

  • ICT4D Labへの参加

    • 2020年の7月ごろから、オンラインサロン ICT4D Labに加入した。JICAやJETROやWBやIOMなど、bi-/multi-lateralな国際機関で働かれている皆さんの話を聞けて面白い。

    • そこで(自分が勝手に師匠と仰いでいる)PMの人と知り合う。PMさんが「PeaceTech部」を開始。自分も専門性を使って何かしたいと思っていたので二つ返事で参画。チーフデータサイエンティストとして初期メンバー(共同リード、とPMさんは言ってくれている)になる。

    • PMさんのプロマネ力を目の当たりにするとともに、あれよあれよという間に成果物。10人超えのチームワークの成果。なんだこれは!力のあるリーダーが動かすとこんなことになるのか!プロセスも全然研究と違う!

    • その後、PMさんにはPeloria Insightsという紛争解決領域のスタートアップのお仕事をいただいて手伝わせていただいたりもした。国際機関のプロジェクトを実施するベンダー。これも「そうやって使うのか!これはうまいな」というNLPの使い方を目の当たりにする。

    • PMさんの、マネージャー/リーダー(兼任)としての人の動かし方に関するアイデア、プロジェクト進行方法のアイデア、技術利用方法のアイデア、などなど、引き出しの多さに感銘を受ける(今も受けている)。

    • この辺りから「こういうことをできるようになりたい。そのためのステップアップが自分の次のキャリア段階だ」と思うようになる。

リクルート参画の動機

  • 一言で言えば動機は上に書いてあるように、「ビジネスドメインでは、どう物事を進めているのか」を知り身に着けることが自分の次のステップアップの要になると思い至ったためです。

  • ここで引き出しを増やすことで、自分の上限が上がると思いました。今の延長線上で、例えば応用研究プロジェクトを始めるとしても、爆発力が足りない。「できる」範囲のことしかできず、「誰にも想像できなかった」ほどの成果を挙げられる気がしない。研究者として応用研究プロジェクトの形でPeaceTechやICT4Dの領域で活躍したとしても、今の自分のスキルセットだけでやっていくと「頭打ち」になってしまう未来が見える。

  • なぜ自分のやることがこじんまりとまとまってしまうビジョンが見えるか?それは自分はナチュラルボーンに人を動かせる才能を持っていないので、必要なスキルやアイデアの引き出しが足りていないから。

  • でも生まれつきの才能や幼少期に身につけたものが無いからといって嘆く必要はない。「向いているか向いていないか」ではなく「『向く』にはどうしたらいいか」と考えて成長すれば良いだけのこと。自分にとってその能力が「身につけなくては困る」ぐらい重要だと分かっているのならなおさら。

  • 収益化とか、ステークホルダーの調整とか、研究を生業にしていると必ずしも自然には考えない要素は沢山あります。もちろん良し悪しの話ではなく、です。また、経営戦略や組織運営のノウハウは、研究においても直接的に役立つはず。

  • 一言で言うならば、自分の場合、「物事を大きくやる」センスが足りない。それをこれから身につける必要があると確信していました。それなので、自分の次のステップでは「物事を大きくやる」ために必要な資質を身につけること、またそのための「成功事例」を見ること、を目標としました。

  • ではその本場はどこか?といったらやはりビジネスかな、ということで、「ビジネスを知りたい!」(というよりその背後にある組織のコンピテンシの源泉や、「0→1、1→10、10→1000」の各段階を見たい、組織運営上のアイデアの引き出しを増やしたい、失敗例と成功例を観察したい、などなど)という気持ちに。

リクルート参画までの経緯

  • もし日本企業で新卒枠に応募するなら3月〜6月頃に応募とかしないといけないのでは?ということでいくつかの就活サイトに登録。

  • お試しがてら社会勉強のつもりでランダムな「新卒向け会社説明会」に登録・参加してみたところ、なんとその会社が出欠確認をしており恐れおののく(と同時にその就活サイトをやめる)。いいものを見た。

  • いくつかの企業には個別にコンタクトしたり、WantedlyやLinkedIn経由でご連絡頂いて面談をしたりしました。就活にかこつけてちょっといろいろお話を伺ったりもしました。

  • 早い段階でカジュアル面談を申し込んだ先がリクルート。元々全く意識していなかった会社で、カジュアル面談やってるし申し込んでみるかーと軽い気持ちで申し込みましたが、何人かの方とお話するうちに、割と早い段階で「あれ?この会社、自分に次に必要なものドンピシャでは・・・?」という確信が強まっていったため、実はほとんど他社には応募することなく心の中では大体決まっていました。

  • 応募先を考えるにあたって、いくつかの点を重視しました。重視した順番に:

    1. 文化風土が自分に合っていて色々やりやすそうであること

    2. 「物事を一から始めてビッグにやる」ためのノウハウが溜まっていると思われる企業であること。ビジネスでの「0→1」「1→10」「10→1000」のベストプラクティス・失敗事例を沢山見られそうな、多数の事業をやっている会社であること。

    3. 自社のプラットフォーム上で完結した経済圏ではなく、その外にある実体経済に切り込んでいくスタイル/段階の企業であること

    4. 「自社の経済圏に限らない」(外部にある「経済」「市場」に入っていく段階の)事業に関われること

    5. プラットフォーム指向であること(ビジネスにおける「基盤」もしくは「上流工程」になるべく近い側)。PeaceTechやICT4Dのアイデア・構想を実装しようと思うと、やはり一小国ぐらいの規模で実施できたら面白い。国際機関も大体は国がクライアント。そうなると少数の事業者に関わる方向性でなく、業界単位で考えるような事業から経験値を獲得したい。

  • なお、上述のように「ビジネスでの(ベスト)プラクティスを知りたい」という動機が大きかったので、自分で起業する、アカデミアでポジションを探す、ベンチャー企業でポジションを探す、といった方向は早い段階で打ち切りました。

  • そんなこんなで、中途採用のフローに乗せていただき、この4月から参画させて頂くことになりました。


これから

  • 曲がりなりにも(そしてまだまだですが)「研究ができる」ようになるまで1年はかかりました。研究者の皆さん同意いただけると思いますが、新しい研究分野に手を出すときは、そこから1年ぐらい一本も論文が出ないということだって全然ありえると思います。それと同じで、新しい仕事でも1年くらい目に見える成果が出ないこともありえるという心持ちで、焦りはほどほどに抑えながらやっていこうと思います。

  • せっかくリクルートにいるので、ビジネス開発についても色々勉強・実験しようかなと思います。50%業務、30%ビジネス開発、20%自分の引き出しを増やす活動、という気持ちで。

  • 上を読んでいただいたら分かるように、私は「研究シンパ」で、研究者養成所というつもりで大学院に入ったタイプなので、長い目で見て研究から身を引くということもありません。研究にもアカデミアのコミュニティにも関わり続けたいと思っています(共同研究も発表もすると思いますし、学会運営とかも手伝います)。これからもよろしくお願いします。

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