経験の浅さ

私は経験が浅いことに非常な劣等感を抱いている。とにかく経験が浅い。或いはDas Esから締め出されている。Das Esから締め出されているとは、或いは自分以外の多くの他者が共有している何らかの共有から締め出さているということ、或いは実はそれは自らの精神活動の深層としてのDas Esから締め出されているということである。だから、例えば明らかな神経発達症の者が明らかに多くの周囲の者から、彼は我々の共有しているものごとを知らないと感じ取られるような状態を想像してもらえばよい。彼はDas Esから締め出されている。
表層的思考ということで考えると私は陰謀論的思考を想起するが、陰謀論は同時に神秘体験というある種の深層的体験と親和性が高いことは、オウム真理教などの事例にみられる。だからなにか、論理学的に達成できない深層での経験を、神秘体験で埋め合わせているような印象をもつ。恐らくそれは、人がDas Esから締め出されてもDas Esを切除することができないことに由来するのだろう。だから、空漠たるDas Esの不気味さの叫びが彼を開示されざる秘密へと赴かせる、と考える。

なんでもいいから自分に合ったDas Esへの回路を作ってあげることが自分を慰めることだと思う。私の場合、長いものを書くことを通して経験の回路を作っていきたいところである。文章、読書、ギター等々、私という存在の深みへの没落は、すでに開始されているのである。

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