【読書】基(以下略) 序2:先生、”あらゆる人間の生の深層に届く言葉を繰り出す唯一無二の哲学者”と紹介されていた。

※(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
とのこと。

 しかし、間違いなく私の生の深層には届いている。しかしそれは「言葉」ではないし、また先生は「哲学者」ではない。
 ところで、かつて東京は動的であった。しかし令和の東京は、東京より広い衰退国家のスタティックな一都市へと変貌している。酒と煙草と淫売婦を教えてくれるような者はいないし、しかしそれはきっと私に魅力がないための現象であろう。私は徘徊老人みたいなものである。ただの異邦人でしかない。empty economic powerですらない。

ハイテク産業 1981-2010


 「煙草」は先生の姿を真似て吸い始めたが、私は哲学の煙を見るに飽き足らず、「天才の余韻」などと称して先生の一ふかしした余りを吸っている。
 昔の人たちも、杯に水や酒を入れる発想はあっても、灰皿にする発想はありえなかったのか、すなわち、観念は想起でしかありえないのか、また、知覚の継起は何をもたらすか。光の裏側をイメージすることである。結局先の「哲学者」たちっていうのは魂を国家に喩えるくらいのアナロジー能力しかないということですか。私にはまだ「動き」という概念が理解できていない。そういえば誕生日の人からプレゼントをいただくという経験は初めてであった。それは逆なのか。

 ところで、私はこの頃こういうものばかりを読んでいるが、私は三重野教授へ未だ未提出の完成版レポートにこんなことを書くつもりは毫もない。「劣化コピー」(にも劣る愚劣な駄文)にしかならないことがわかっているからだ。
 

 とはいえ、「最高」であるよりも何がかはわからないが「広い」方がいい。頭の中のほうが広いが、自然も広いはずである。

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 さて、私は依存的で軟弱な人間であることは確かだが、どこか強く自己反省的な人間なので、頭悪いなりに曲がりなりにも変な方向に行かない自負はある(行かない、つもり)。ただし、「全か無か思考」になってもいけないので、ほどよくやっていく。適切な程度で学んでいけばいい。
 さて、私は何がしたいんだろう?わからないからこそ学び、本を読もう、締める。


『白山の学堂』2022

https://www.youtube.com/watch?v=EHBFKhLUVig

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