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ソーメン流し

鹿児島のソーメン流しは?

鹿児島のソーメン流し風景

 皆さんは、夏の風物詩でもあるソーメン流しと言えばどういう光景を思い浮かべるだろうか。

 おそらく多くの方が、表題のイラストのようなものを連想するのではないだろうか。
 でも私が住む鹿児島では、上の写真のようなものがごく普通だ。
    というか、これしかない。
 写真を見てもらえば分かると思うが、中華料理店にあるような丸い大きなテーブルの中央に、きれいな水が流れる ドーナツ状の水路(ここがポイント)がある。
 そしてテーブルについた人は、テーブルの中央に置かれたザルからソーメンをすくって水路に流し入れる。
 ソーメンは自然と流れるので箸を入れればひっかかる。
 それをすくい上げて、かつおだしのつゆにつけて食べる。
 メインはソーメンだが、だいたいそれに
   おにぎり、鯉こく、マスの塩焼き
などがつくのが定番メニューだ。
 これで、1500円前後だろう。
(昔は、もっと安かったが)
 小さい頃からこのスタイルしか見たことがないので、ソーメン流しと言えば全国どこでもそんなものだろうと思っていた。
 ところが違った。
 
 なんとソーメン流しと言えば、県外では上のイラストのように
   竹を割ったものをつなげて
   それに高低差をつけ
   上から流したものをすくって食べる
というものだった。

 最初それを見た時
   なんて合理的じゃない方法だ
   すくい残したソーメンはどうなるのか
   そのまま捨てるのか?
   上から流す人は食べないのか?
など、欠点ばかりが目につく。

 数年前に、遊びに来た福岡市在住の友人をソーメン流しに連れて行ったところ、いたく感激して
   なんていい方法だ
   リーズナブルだし、涼感もある
   今度はぜひ家族を連れて来たい
と絶賛した。
 そして
   なぜこれが全国に波及しないのか
   不思議だ
とまで言ってくれた。
 訪れたところは、「唐船峡」という鹿児島県人なら誰でも知っている有名な店で、詳しくは下記サイトを見ていただきたい。

 その友人から言われるまでもなく、私も常日頃から思っていた。
   なぜこんな素晴らしいものが
   全国に広まらないのか
と。

 この鹿児島のソーメン流しのシステムを開発したのは、鹿児島市にある
   鶴丸機工商会
という会社らしい。
 話は約60年前に遡る。
 その「唐船峡」も、最初は地域おこしの一環として開聞町(現指宿市)という地元自治体が始めたものだった。
 はじめは全国的なスタイルのソーメン流しとして営業を始めたが、すぐに問題が浮上した。
 それは
   ソーメンを流す竹にすぐに
   カビが生えること

   ソーメンを流す人が食べられないこと 
だった。
 そしてその問題の解決に思考錯誤を重ねた結果
   中華料理のように丸いテーブル
   にして 、その真ん中でソーメンを回転
           させながら流す方法を開発できないか
   それだったら、全員がソーメン流し
   を楽しめるのではないか
というアイディアが浮かんだ。

 そのアイディアを持ち込まれた鶴丸機工商会が、商品開発して作り上げたのが、現在鹿児島で使われているソーメン流しのスタイルだ。
(その開発秘話は、個人的にはNHKの「新プロジェクトX」で取り上げて欲しいほどの努力の賜物の成果であるが・・・)

 その後1970年頃には、当時の国内新婚旅行ブームにもあやかり、旅先の「思い出の味」として全国的に知られるようになった。
 もともと近くには、恐竜ブームにあやかって「イッシー」という名前の恐竜がいるということで一躍有名になった池田湖という淡水湖もあった。
(本家イギリスのネス湖の「ネッシー」は偽造写真疑惑が浮上してポシャッたが・・・)
 観光スポットとしての知名度はさらに高まった。
 今や年間20万人、夏場などは一日3000人以上が訪れる、鹿児島の人気スポットのひとつとなった。

 ただ全国的な知名度は上がったものの、そのシステム自体が全国的に波及したかと言えば、そうはなっていない。
 鶴丸機工商会が苦労して開発した商品だけに「特許権」云々の問題も見え隠れするが、素人考えながら
   逆に特許権を行使すれば
   莫大な利益になるのではないか
   鹿児島はその「元祖」として
   売り込めば、さらなる観光客誘致
   に繋がるのではないだろうか・・・
と思った。

 でも現実は私が考えているとおりとはならなかった。
    特許を取っても、それを使いたいという人がいなければビジネスにならない。
 ということは、特許として登録したが、それを使いたいという人がいなかったということなのか。 
 このため、今でもこのスタイルのソーメン流しがあるのは、私が知っている限りでは鹿児島だけのようだ。

 通販サイトなどで、家庭用の簡易な鹿児島式スタイルのものは散見されるが、大掛かりに事業所規模でやっているところはないようだ。
 なぜだろう?
(もしこの投稿を読んで「いいや、私の町にもあるよ」という方がいればぜひ教えて欲しい。)

 不思議に思いながら
   鹿児島 ソーメン流し 普及
等の検索キーワードでネットを見ていたところ、あるサイトの投稿で、そのヒントとなるものがあった。
 その投稿者いわく
   水が流れているとは言え
   多くの人が同じ水に流れるソーメン
   に箸を突っ込むのはどうか・・・
   衛生的ではないのではないか
とのたまわっていた。
   なるほど
   そういう観点か!
とひとりごちた。
 確かに、その観点は盲点だった。

 ここにも、日本人特有の
   穢れ(けがれ)の言霊
が顔を持ち出していることに気づく。

 確かに我々日本人には、古来から
   穢れ
という発想がある。
 これは良しに着け悪しきにつけ、今でも日本人のなかに見え隠れする。
 割り箸にこだわるように、日本人は自分が口にするものとなると、病的とも思えるほど衛生面にこだわる。
 投稿者の
   人が口につけた箸と同じところに
   自分の箸を入れたくない
という発想も、まさにこの「穢れ」の発想にこだわったものに思える。
 ただこの投稿が、そこまで考えたのものか定かではないが、自然と日本人的発想になっているのが興味深い。
 日本人としてDNAに刻まれたものが自然と出てきたのだろう。
 おまけに、近年の「コロナ」騒動だ。
 ますます鹿児島のシステムが受け入れられにくくなったのも、容易に想像がつく。
 なるほど、そういうことだったのか。

 ただ、鹿児島の名誉のために言わせてもらえば、ソーメン流しに使われる水は近くから湧き出る水で、それをテーブルの下に取り付けられたホースを使って流し続けるため、滞留することはなく、あふれた水は常に水路上部に刻まれた溝から外に排出される構造となっている。
 だから、水路の中を流れるソーメンは、常に新しい水で洗われているようなものだ。
 仮に複数の人が、その中に箸を入れるとしても、その箸も常に新しい水で洗われているようなものではないだろうか。
 何もことさら、「他人が箸をつけた水」というところにこだわらなくてもいいのではないかという気もする。
 おそらく投稿した方も、この構造まで知って発言したのではなく、ただ単にイメージとしてそう発信したものと思いたい。
 そして、日本人には「穢れ」の発想に基づくものもあるが
   水に流す
という発想があることも思い出してもらいたい。
    これは水資源に恵まれた日本特有のものであるが、 過去のことや、間違ったことにいつまでもこだわらず、前を向いて進むというポジィテブな発想でもある。
 ソーメンを流すという行為も「水に流す」ということを具現化したものと思えば日本人らしい発想の食文化とも思えるのは私だけだろうか。

 過去日本人は、この「穢れ」と「水に流す」という発想をもとに、いろいろな国難を乗り切ってきた。
 江戸時代、薩摩藩は当時の政権である徳川家から外様大名のひとつとされた。
 徳川幕府にとって、大藩だった薩摩藩がはるか遠方の地にあったことは、自らの政権維持とその安定のためには好都合だったかもしれない。
 ただ薩摩藩は、そのような境遇に置かれても悲嘆することなく、琉球との密貿易や南西諸島との交易等で財をなし、密かに未来に向けて藩の財政備蓄と軍備強化に努めてきた。
 また当時は海路が貿易の主流だったので、藩が日本の最南端に位置していたことも有利になり、海外からの情報や最新技術の取得については他藩よりも早かった。
 幕末にあっては、いち早く欧米列強の進出に国難を感じ取り、軍備増強と産業の育成に着手したのが当時の藩主島津斉彬であった。
 軍備増強にあたっても、欧米の最新式の反射炉を建設したことで大砲などの製法技術が発展し、海外の最新式軍艦建造技術についても幕府より秀でたものがあった。
 
 このため、江戸末期に起こった
   生麦事件
で、当時の世界的大国であったイギリスとの関係が悪化し、薩英戦争になった時も、藩士たちは臆することなくこの大国と一戦を交えて、英国をして
   薩摩恐るべし
という心情を抱かせるに至っている。
 ちなみにこの時の戦争で、薩摩藩は堂々とイギリス艦隊と対峙し、その数隻を撃沈させるなどの戦果を挙げているが、イギリスは薩摩藩の戦意を喪失させるために、薩摩藩の城下町を狙って艦砲射撃を行い、幾多の非戦闘民を殺戮している。
 先の大戦後期でもアメリカ軍は、日本本土の都市を狙って無差別爆撃を繰り返したり、原子爆弾を投下したことを思う時、アングロサクソンの残虐性に歴史深いものがあることに思いが至る。
 
 ただ、そうは言っても、薩英戦争や大東亜戦争で我が国と干戈を交えた両国は、いずれもその後日本人の精神性と強さに感銘して、戦後は同盟国となっている。
 そして日本はいずれの戦いにおいても、戦後はそれを「水に流して」前を向き、彼らから学ぶべきものは学んで進んできたからこそ今があると言っても過言ではない。
 まさに「歴史は繰り返す」である。

 ソーメン流しの話が、日本の近代史に思いを馳せることとなってしまったが、それも「穢れ」の発想から投稿された方の縁だと思いたい。
 いずれにせよ、鹿児島の場合、流したソーメンを一度取り損なったからと言って悲嘆することはない。
 薩摩人はおおらかなのだ。
 また回って来るし、なにも自分のためだけに流すわけでもないので、他の人が流したソーメンもすくえる。 
 体験したことはないのでその魅力は定かではないが、おそらく普通のソーメン流しだったら、人間関係が壊れそうだ。
 箸を握って上から流す人を凝視して、必死になってすくおうとしいてる様子をイメージしてしまう。
 おまけに、自分より高い位置にいる人のほうが、断然有利だ。
 下にいけばいくほど、ソーメンをすくえる可能性は低くなるのではないだろうか。
 もう、その立ち位置からバトルになりそうだ。
 たかがソーメン流しではないか。
 上から流す一回勝負的なソーメン流しよりも優雅に回して流したほうが、全員すくえるし、ゆっくり会話も楽しめる。
 やはりソーメン流しは鹿児島式がベストだと思ってしまう。
     この夏も、唐船峡は観光客や帰省客で賑わったことだろう。
     猛暑の続く夏だったので、涼を求めてそれぞれ楽しい夏の思い出ができたことと思う。
    私ももう少し待って、やや客足が遠のいて静かになったら、久しぶりに足を伸ばしてみようか。

一度は訪れてみる価値あり!





 


 


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