日本も原爆を準備していた?
使用を諌めた昭和天皇~ポツダム宣言を受諾した真の理由とは
また8月15日がやってくる。
この頃になると、ほとんどのメディアは例年通り先の大戦に対する反省一色の報道となり、日本がなぜ戦わなければならなかったか、またなぜポツダム宣言を受諾したのかなど一切無視して、いまだにGHQ(この意味すら知らない人のほうが増えているかもしれない)の押し付けた自虐史観から抜け出せない頭の固さを披露する。
ポツダム宣言とは、先の大戦終結に先立ち、交戦国であった米・英・中・ソから示された日本に対する無条件降伏案であるが、国内ではこれを受諾するか否かについてかなりの議論が繰り広げられた。
しかし最終的にこれを決したのは昭和天皇であった。
天皇自らがその受諾を御聖断されたのである。
戦前は天皇主権の国体であったから、全て天皇の判断によって国政がなされていたと思う人も多いが、それは誤りであり、実態としては、行政権は内閣、立法権は議会、軍事は陸海軍が握っていたので、天皇の存在は現在と同様象徴天皇に近いものであった。
歴史上天皇が国の命運を決めるような重大事項について自らの考えを示されたのは、後にも先にもこの時だけのようである。
それほどこのポツダム宣言受諾は、日本にとって大きな意味があったのである。
そしてこの受諾にあたって終戦の詔書(天皇の意思表示の公文書)が作られ、その内容については、国民にラジオ放送を通じて天皇みずからが語られた。
いわゆる「玉音放送」である。
耐えがたきを耐え
忍び難きを忍び・・・
というフレーズだけが切り取られて報じられているため、今や、陛下がどのような思いでこの難局を乗り切ろうとしたのかをあまり知る人はいない。
長くなるので、この全文について解説することはここでは省くが、その内容から察するに昭和天皇が終戦を御聖断されたポイントは、ふたつあると思われる。
そのひとつは「原子爆弾」である。
この使用に先立って、アメリカは東京大空襲により、一夜にして10万人あまりの民間人を大量殺害するという戦争犯罪を犯しており、そのことがいまだに糾弾されないこと自体不思議であるが、さらにそれを上回る戦争犯罪である広島、長崎への原子爆弾投下を行ったのだ。
原子爆弾の被害については、ここで詳述する必要もないが、この爆弾はそれまでにない惨禍を人類にもたらした。
現代までその後遺症に苦しみ、そして亡くなっていく方もおられるなど、まさに悪魔の兵器といっても過言ではないだろう。
これを使うことが、人類にとっていかに破滅的な結果をもたらすかということが分かったからこそ、その後核が一度も使われることがなくなったのだと思う。
実は、当時日本も原子爆弾の開発にほぼ成功しており、陸軍は戦況を挽回するために、その爆弾による米本土爆撃案も検討していたが、これを知った昭和天皇は
いかに戦況の挽回とはいえ、
そのような非人道的な兵器を
使えば、最後は世界が滅んで
しまう
そのようなことになれば、私
は先祖に対して申し開きのし
ようもない
と、その使用を諫めたらしい。
しかしアメリカはまるで人体実験でもするかのように、迷うことなく2種類の原子爆弾を一般住民が住む日本の都市に落とし、その絶大な効果を試している。
また、日本同様にアメリカをはじめとする連合国と戦っていたドイツに対してはなぜか原子爆弾は使っていないが、これには有色人種に対する根強い人種差別があったからだろう。
同じ白人国家であるドイツに対しては原爆を使うことに良心の呵責はあっても、黄色人種である日本人に対しては少しもなかったのである。
一方天皇は、終戦の詔書のなかでも
敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)
を使用して罪のない人々を殺傷し
その被害は計り知れない
このまま戦争を継続すれば、日本
だけでなく人類も滅亡してしまう
と、将来の人類全体のことまで憂えているのである。
日本人に対して良心の呵責すら感じずに原子爆弾を使用した国と、人類全体のためにその使用を諫めた天皇のどちらが真の世界平和を願っていたと言えるだろうか。
人類の平和のために日本は終戦を決意したのである。
そしてもうひとつの終戦の御聖断の理由は「ソ連の参戦」だったと思う。
陛下はその詔書のなかで、戦後の日本について
同胞同士が排斥しあって、国家を
混乱に陥らせることを戒めたい
と述べているが、これは終戦間近になって参戦してきたソ連の日本占領を危惧してのものだったと思う。
ソ連は、日本がもう反撃する能力がないとみるや、当時結ばれていた日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、北海道の千島列島に攻め込んできたのだ。
もし、ポツダム宣言が受諾されずに戦争が継続されていれば、北海道のみならず日本は関東以北あたりまでソ連に占領されていたと思う。
そして戦後、朝鮮半島や東西ドイツのように、同じ民族でありながら憎しみ合って対立しなければならない悲惨な歴史を背負うことになっていただろう。
東西ドイツの対立が解消したのも、ソ連崩壊の1年前の1990年まで待たなければならなかったし、朝鮮半島にいたってはいまだに統一すらされておらず、同じ民族でありながら38度線を境として睨みあっているのである。
ポツダム宣言の受諾は、日本が東西両陣営に分断されかねない重要なターニングポイントであった。
陛下の御聖断が日本を救ったのである。
毎年8月6日になると、広島で原爆で亡くなった方々の慰霊祭が行われているが、その慰霊碑には
安らかに眠ってください
過ちは繰り返しませんから
という、主語のない奇妙な日本語が刻まれている。
過ちを繰り返してきたのは誰だろうか
まさか日本だと言いたいのだろうか
世界平和のために、原子爆弾の使用を諫めたのは天皇陛下だったのではないか。
そして今も核の使用をちらつかせながらウクライナ進攻を続ける国から過去に日本分裂の危機を救ったのは陛下その方だったのではないか。
そのような本当の歴史も知らない人から「安らかに眠ってください」と言われても、先人たちは戸惑うことだろう。
今や多くの人が、不幸にも先の大戦で犠牲となられた多くの英霊が築き上げてくれた平和にあぐらをかいて暮らしている。
この平和がどうやってできているか本当の歴史を知らずに・・・
先の大戦でゼロ戦搭乗員として戦い、戦後「大空のサムライ」という本を執筆して有名になられた坂井三郎氏(故人)が、生前電車のなかで
「おい昔日本はアメリカと戦った
ことがあるらしいぜ」
「まじー?ちょーすごいじゃん」
という大学生の会話を聞いて愕然としたということがあったらしい。
現代の平和の日本を築いてくるために、どれだけの先人が尊い犠牲となったのか。
そして生き残った方たちが、いかに艱難辛苦を耐えて、戦後の礎を築いたのか。
正しい歴史認識とそれに基づく正しい日本のあるべき姿を見つめていかないと、日本が日本でなくなってしまうかも知れない。