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お客様!

お忘れものですよ

 ある日、量販店に買い物に行った帰りのことである。
 2階で買い物を済ませて下りのエスカレーターに乗ったら、後方から
   お客様、お客様!
と大きな声でレジの女性店員が追っかけてきた。
   えっ、俺のこと?
   ちゃんと支払いしたし、何事かな
そう思わせるほど、大きな声で息せき切って小走りで迫ってきたことから自分のことかと不安になり振り返った。

 しかしその女性が追いついて声をかけたのは、私のすぐあとからエスカレーターに乗った別な男性だった。
 見たところ私と同年齢くらいの男性。
 彼女もエスカレーターに乗ってその男性に声をかけていたので、自然と話の内容が聞こえてきた。
 店員さんいわく
   先ほど買い物をされた時、お釣りを
   お忘れになってました
 男性は
   えっ?
   そうだったかな
と何かピンとこないような感じだった。
 最近は、スーパーや量販店のレジは支払いは客が自分でするところが多い。
 この店も店員が商品のバーコードを読み取ったあとは、レジの後ろにある自動支払い機を使って支払うシステムになっているので、そこに取り忘れたお釣りがあることに気づき追っかけてきたのだろう。
 続けてその女性は
   はいお釣りの1円です
   ありがとうございました
   気を付けてお帰りください
と言ってレシートと1円を渡したのである。
 男性は不思議なものでも見るかのように、その店員をしげしげと見つめながら
   あなた
   たった1円で追っかけてきたの?
と言った。
 そうだろう。
 私もそう思った。
             ありがたいが
   なにもたかだか1円くらいで
とか
   そんなに大きな声で
   貰うほうの身にもなってみろ
   恥ずかしいじゃないか
などなど・・・
 それほど彼女の追っかけてくる表情は、何か重大なことを告げるかのような感じだったからだ。
 ひよっとしたら万引きの犯人を捕まえるための声かけかとも思った。
 だからそのギャップが逆におかしくもあった。
 でも彼女はまじめな顔で
   1円でもお釣りはお釣りです
と言った。
 その時ちょうどエスカレーターが1階に着いた。
 彼女は、その男性にもう一度会釈して反対側の上りのエスカレーターに乗り、自分の持ち場に帰って行った。
 見たところまだ20代の若い店員さんだった。
 茶髪のポニーテールを揺らしながら、エスカレーターを小走りで駆け上がって行く姿が妙に印象的だった。

 そして、ちよっと感動した。
 たかが1円。
 でも、されど1円でもある。
 1円の積み重ねが10円にも百円にもなり、そしてそれ以上の大きな金額にもなる。
 お釣りを貰うということは、たとえ少額であっても日本ではごく当たり前のことであるが、それが1円だったゆえに、彼女の誠実さが滲み出ているように思えた。

 外国人がこの光景を見たら、さぞかしビックリしただろう。
 なにせ海外では、小さなお釣りは返してもらえなかったり、国によっては店員が引き算ができずに(ていうか、わざとできないふりをする?)往生したりするということがよくあるらしい。
    オーストラリアは、1セント硬貨をその製造コストの点から作らなくなって、5セント以下については切り捨てていいという法律まであるらしい。
    つまり5セント以下のお釣りは返ってこないということだ。
    でもそのお釣りも、積もり積もれば結構な金額になるのでは・・・
     1セントといったら日本の1円硬貨のようなものだろう。
     アメリカでタクシーに乗って降りる時にお釣りを貰うのを待っていると運転手はなかなか渡そうとしない。
     不審に思い尋ねると
             えっ、お釣り?
という反応をされたという話も聞いたことがある。
    これは欧米にはチップという習慣があるところからきているらしい。
 どうもその運転手は、お釣りはチップと思い、返さなくていいお金だと思っていたようだ。
 昔と違って今はお金と暇さえあれば誰でも海外旅行に行けるような時代なので、チップの習慣もよく知っている人も多いかと思うが、でも普通日本人ならば
            お釣りはお釣り
            チップはチップ
と思ってしまうのではないだろうか。
 支払いはきちんと済ませたあとに、そういう習慣があるのならば、チップは別に気持ちとして渡す。
 そう考えてしまう。
   おまけに、小銭だけならまだしも、紙幣までチップで巻き上げられたらたまったものではない。

 日本はカード決済が遅れていると言われれば身も蓋もないが、歴史を振り返れば、我が国では江戸時代の頃からお釣りをきちんと返すということは、商習慣という前にひとつの常識として定着していた。

 幕末に来日した外国人が、渡し舟や籠など当時の交通機関を使った時でさえきちんと小銭のお釣りを返され、一庶民でさえその計算が瞬時にできたことに驚愕したという話があるほどだ。

 それを支えたのは、江戸時代に庶民の子供にまで広く学ぶ機会を提供した
   寺小屋制度
だった。
 ここで教えられた
   読み・書き・そろばん
が、その後の日本の経済発展を支えたと言っても過言ではないだろう。

    この時同時に厳しく指導されたのが躾だった。
    この躾による倫理観が日本人の精神風土となり、商売もその倫理観を土台として育まれてきたのだろう。
 請求金額以上は一銭も貰わないということが徹底していた。
    それこそがチップ文化が芽生えなかった理由のような気がする。
 これはもう
   お釣りの文化
と言ってもいいほどだ。
 さしずめ日本は「お釣りの文化」、欧米は「チップの文化」か・・・
 
 その後日本は明治維新を経て、急速に欧米化していったが、前述の寺小屋制度で培われた教育と躾が背景にあることは論を待たないだろう。
 
 段々キャッシュレス化が進み、お釣りの文化が少なくなることは寂しい限りだ。
   おあと◯◯円のお返しです
   ありがとうございました。
と言われることはよくあるが、一緒にいた子供から
   ねえパパ
   「おあと」ってなあに?
と聞かれ、それが分からなくなる時代がまもなく来るだろう。
 お釣りにまで「おあと」と丁寧語で表現する日本人らしいきめ細やが失われていくことは寂しい限りだ。
 新一万円の顔となった日本経済の礎を築いた
   渋沢栄一
が聞いたらさぞ嘆き悲しむだろう。
 お札の顔となるのは渋沢栄一が最後かもしれないという話も聞く。
 ひよっとしたら、造幣局が彼の財界人としての功績を讃える意味で、一万円札の最後の顔としたのかもしれない。
 それほどキャッシュレス化は進んでいるらしい。
 ただ彼は、一流の経済人である前に、寺子屋で鍛えられた日本的倫理観を有する人格者でもあった。
 でも時代は確実に変わっていく。
 そのうち
   お客様
   お釣りお忘れですよ
と追いかけてくる心優しき乙女もいなくなるかと思うと、そうなる前にたまにはお釣りを忘れたふりでもしてみるかとさえ思ってしまう。
 ただ
   1円でもお釣りはお釣りです 
と言った彼女のように、これまでのジャパニーズ・ビジネスマンが世界を股にかけて武士道をバックボーンとする誠実な商取引の積み重ねをしてきたからこそ広く信頼されるに至ったのだろう。
 そういえば昔、世界をまたに活躍する日本のビジネスマンをイメージした
   24時間戦えますか!
というキャッチフレーズの栄養ドリンクのCMがあったっけ・・・
 
 そして日本のモノづくり文化から生み出された素晴らしい商品と相まって
   メイドインジャパン
のブランドを築き上げたことを思う時、その礎が既に江戸時代に出来上がっていたことに感動すら覚えてしまう。
 かつてバングラデシュで日本の大手ゼネコンが橋の修復工事を受注して完成させた時、半年あまりも工期を早めて完成させて浮いた数十億円の工費を
   バングラデシュの発展に貢献したい
として返還したため、同国から驚きと称賛の声がなりやまなかったという話がある。
 そしてなぜかこの国の国旗は日の丸にそっくりだ。

バングラデシュの国旗


 これこそが日本精神である。
 ジャパニーズビジネスマンの真の姿である。

 他国より安い見積もりで入札だけは勝ち取って、その後は工期を引き延ばしたりしたうえ粗悪な工事を行うどこかの国とは民度が違う。 
 日本経済をここまで引っ張ってこれたのは、全て先人たちの積み重ねであることだけは夢ゆめ忘れてはならないだろう。
 キャッシュレスになろうが、お釣りがなくなろうが
   お釣りの文化
だけは日本人のDNAに刻まれて残って欲しい。


   








 



 
 


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