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小説「機長に敬礼!」

感動の機内アナウンス

(この物語は自衛隊にかかる感動実話にフィクションを加えたものです 。)

      プロローグ

  1990年代半ば、アフリカのルワンダ内戦で難民が出るや、時の外務省はその難民が集まるキャンプ地警備のために自衛隊の海外派遣、いわゆる
   PKO(平和維持活動)
を言い出した。
 まだその実績もあまりない頃である。
 しかしルワンダの難民キャンプ地は
   武装ゲリラが出没する
   エイズなど伝染病が蔓延している
という危険極まりないところで、本来この内戦に責任があると言える西欧諸国さえ派兵を尻込みしていた。
 そこに日本と同盟関係にあるアメリカが仲介し、日本に常任理事国入りをエサに派兵を要請してきたのである。
 そして外務省は、もし派遣部隊に死傷者でも出れば困難な任務であったということを世界にアピールでき、長年の夢であった常任理事国入りという成果が得られると考えた。
 そして満足な現地調査もないまま、彼らをそれぞれ拳銃一丁と機関銃ひとつだけというほとんど丸腰に近い状態で、この危険な任務に赴かせた。
 1994年9月のことである。
 ところがその意図に反して、自衛隊の士気と練度は極めて高く、与えられた任務をほぼ完ぺきに成し遂げた。
 現地に展開した部隊は、まず衛生面の確保をして、エイズをはじめとした伝染病の蔓延防止に尽力し、部隊員に感染者を出さなかったばかりか現地の人に対する治療も施して感謝された。
 そして最も人的被害が懸念された難民キャンプに対する武装ゲリラの攻撃に対しても完璧に警備をこなして被害の発生を抑えたばかりか、武装ゲリラに襲われたNGOの日本人医師の救出までやってのけた。
 このことを知った世界のメディアは称賛の言葉を惜しまなかった。
 一方あまりにも任務が完璧にこなされたことで、逆に当初考えたような過酷な任務ではなかったのではないかとの印象も与えてしまった。
 日本の自衛隊の優秀さは、蚊帳の外にされてしまった。
 このためアメリカがエサにした日本の常任理事国入りという話も尻つぼみになってしまい立ち消えた。

 期待に応えなかった自衛隊への扱いは陰湿だった。
 政府は派遣部隊に対して、仰々しいという理由で帰国に際しては制服の着用を認めず、しかも民間機で帰れと示達した。
 メディアに至っては日本人医師を救った行為さえ派遣部隊に示された任務の範囲外だと言いたてた。
 自国のために貢献した者に対する敬意のひとかけらもない冷遇だった。

        1

 1994年12月27日夕刻、ロンドンヒースロー空港の国際線成田行き日航機内において、CAチーフの大野朝子は、搭乗客を笑顔で迎えるとともに部下のCAたちと離陸前準備をすすめていた。
 そんな折、CAのひとりである山下美香が緊張した面持ちで搭乗口にいた彼女のもとに駆け寄ってきた。 

 「チーフ、ちょっといいですか」
 「どうしたの?」
と大野は尋ねた。
 山下は後方の客席を振り返りながら
 「実はお客様の一人が席を変えろと騒ぎ始
  めて・・・
  ちょっとお酒もお召しになっているよう
  で、私一人ではちょっと対応しきれなく
  なってしまったものですから
  おまけに『責任者を呼べ』と騒ぎだして
  しまって・・・
  すいません」
と申し訳なさそうに大野に救いを求めた。
 山下はもうCAとしての勤務歴も10年近くになるベテランであり、小さなトラブルに動揺するようなタイプでもなかったことから、よほどのことだろうと思いつつもその男性のもとへ向かった。

 「お客様大変お待たせしました。
  私、チーフパーサーの大野と申します。
  先ほどのCAにお申し付けていただいた
  ことについて、もう少し具体的にお話し
  願えますでしょうか。」
 「あなたが責任者か。
  なぜ日航ともあろうものが、あそこに
  座っている汚れた連中を乗せるのか
  日航ブランドに傷がつくのではないか
  どこか別の席に移してもらえないか
  それができないなら、私の席を彼ら
  から離れた位置に席替えしてもらえ
  ないか」
と言った。
 確かにその男性客は酒に酔っている様子が見受けられたが、身なりはしっかりしており、いかにも世界をまたに活躍しているビジネスマンというようないで立ちではあった。
 そのプライドが同じ飛行機に乗ることになった労務者風の一団を許せなかったのかもしれない。
 
 いずれにせよ、その男性客が指示した方向には、服装はまちまちであるものの、精悍な顔つきの男性グループがまとまって座っていた。
 大野は、出発前のブリーフィングで
   服装はまちまちであるが
   陸上自衛隊の隊員65名
が海外でのPKO活動を終えて搭乗することをCAらに話していたので、彼らが自衛隊員であることはうすうす気づいていた。
 ただ彼らがなぜ私服でしかも民間機に乗っているのか詳しい理由については何も知らなかった。
 もちろんそのことを他の乗客に説明する必要もないと判断していた。
 なにせ
   自衛隊の海外派兵反対云々
とかいうニュースがテレビで報道されていた時期でもあり、何かと自衛隊に対する風当たりの強い時期でもあったことから、乗客の全てが自衛隊に好意的とは限らないと思っていたからだ。
 これは旅客業務にあたる乗務員として当然の判断であり、山下もそのことがあったからこそ、その男性に対して強くは言えなかったのかもしれない。

 ただクレームをつけた男性が言うとおり、彼ら自衛隊員の服装は全員私服であるものの確かにお世辞にも国際線を利用して日本に帰るお客様という感じてはなく、その風貌も全員日焼けして真っ黒で、失礼ながら一見して現場労務者にしか見えないようないでたちであった。
    このため乗客のなかには、彼らを何か異様なものでも見るようにしていた人たちが少なからずいたことも大野は気づいていた。

 しかしそのクレームをつけた男性の言うことは、自衛隊員たちの外観に対する偏見でしかなく、おまけに酔っているせいもあり、そこにかこつけて自身の席を変えるようと要求しているもので、当然受け入れられるものではなかった。
 ただ相手は乗客であり、そこは冷静に対処することが求められた。
 このため大野はその男性に対して笑顔を向けつつも
 「お客様、当機はご搭乗にあたり特段服装
        の指定等しておりませんので、特定の方
  の服装のみをとってご搭乗を拒否するこ
  とはできません。
  その点についてはご容赦願います。
  また当機は年末ということもあり、あい
  にく満席でございまして、他にご用意で
  きる席もございませんので、この席にご
  着席願います。」
と鄭重にかつ失礼にあたらないように説明した。
 しかし男性は自分の要求が受け入れられないと知ると、赤くなっていた顔をさらに赤らめて急に態度を悪化させ
 「なにーっ
  客の言うことをないがしろにするつもり
  か、なんとかしろ」
と言葉を荒くして大声で騒ぎだした。
 酔った勢いもあり、自ら騒ぎを大きくしてしまったのである。
 さすがにこの騒ぎは回りの乗客の耳目をひくこととなり、意を決した近くの男性が
 「静かにしてください」
と声をあげてしまった。
 しかしこれがその男性の感情をさらにヒートアップさせてしまう結果となってしまい、座っていた席から立ち上がって声があがった方向に向かい
 「今言ったのはどいつだ
  何をこの女の肩を持つようなこと言って
  いるんだ
  俺たちは客じゃないか
  客の要望に真摯に対応するのがこいつら
  の仕事じゃねーか」
と、離陸前に機内で客同士が喧嘩になりそうな様相となった。
 おそらくことここに及んでは、この騒ぎが自衛隊員の耳目にも触れるところとなっただろうが、彼らは微動だにせず静かに着席していた。

 このため大野は激高した男性に対して
 「お客様、これ以上お騒ぎになりますと他
  の乗客の皆さまに大変なご迷惑となって
  離陸に支障をきたします。
  その場合機長の判断により、最悪ご搭乗
  を拒否させていただくことになるかもし
  れません
  どうか御冷静に願います」
と、最初よりも威厳をもって注意した。

 すると「搭乗拒否」の一言が効いたのか、その男性は少し落ち着きを取り戻して静かになった。
 しかし
   なんであんな恰好の奴らと同じ飛行機
   に乗らなくちゃならないんだ
   日航も落ちぶれたものだ・・・
などとぶつぶつ独り言をぼやいていたものの、それ以上機内で暴れ出すような素振りはみせなくなり、なんとか事態は収束した。
 

        2

 ただ一歩対応が間違えば客同士の喧嘩になりかねなかったトラブルだったので、すぐに機長席に向かいコクピットに座っていた機長に対して、ことの次第を手短に報告した。

 すると機長は
 「そうか、大野さん
  それはご苦労様でしたね
  私も乗客リストを見て自衛隊員が乗っ
  ていることは知っていたよ
  そして彼らがどこで何をしてきた部隊
  かもある程度知っているよ
  だけどそのことをわざわざお客様に説
  明する必要もないしね・・・
  まあ、トラブルは収まったのだから良
  しとしようじゃないか
  離陸してしばらく経ったら、僕からも
  お客様には少し話をするとしよう
  今日のフライトのお客様は、年末年始
  を日本で過ごすつもりの日本人の方が
  多いから、たぶんそれを聞けば皆納得
  してくれると思うよ
  あとは僕に任せてくれないか」
と、微笑みながら静かに答えた。

 機長への報告を終えた大野は客室に引き返し、部下のCAとともに、荷物の収納状況のチェックや、搭乗客のシートベルト着用状況のチェック、搭乗口の閉鎖状況のチエック等に忙しく動き回った。
 そして飛行機がタキシングを始めると、滑走路へ向かう途中で離陸前の最終案内アナウンスを終え、指定の席に座り静かに離陸を待った。
 機内は先ほどの騒ぎが嘘のように静かになって、皆離陸前のやや緊張した面持ちになっていた。

 そしてしばらくすると、エンジンが唸りをあげて滑走路を全速で滑走し始めたあと、機体はふわりと宙に浮き、急角度で上昇を始めた。
 大野はこの離陸時の機体が浮き上がる瞬間が大好きだった。
 飛行機に乗ることを仕事としながらも、こんなに大きな鉄の塊が宙に浮くことが今でも信じられず、その不思議な魅力の虜となって久しい。

 その後機体はしばらく上昇を続け、夕やみ迫るロンドンの街並みが雲の下に消えていき、機体が水平飛行に移ってしばらくするとベルト着用のサインが消えた。
 大野たちはそれぞれ席を離れて、機内サービスの準備にとりかかった。
 これからが彼女たちの本番だ。
 この時機長アナウンスが入った。
 この機長アナウンスもいつもこのタイミングで流されるものであり、普通は乗客に対する搭乗への感謝の言葉と、各地の通過時間や目的地の天候などとある程度決まったものであるが、この日の機長のアナウンスはそれに加えて少し変わったものであった。
 そしてそれは、大野にとっても、またおそらく他のクルーや搭乗客にとっても忘れられないものとなった。

 機長はひととおりの定型的な挨拶を終えると

『このたびは過酷なPKOの任務を終えられ
 て帰国される自衛隊の皆さま
 誠にお国のためにありがとうございました
 国民になり代わり、機長より厚くお礼申し
 上げます
 当機は一路日本に向かっております
 皆さま故国でよいお年をお迎えください
 また今後とも訓練にお励みください
 お元気でご活躍ください』

と話したのだ。

 この機長のアナウンスが機内に流れた時、最初大野は乗客がどういった反応を示すか不安であった。
 自衛隊に対する考えはいろいろあり、決して好意的な人ばかりではないと考えていたからだ。
 だから、先ほどトラブルを起こした男性に対しても慎重に対応したつもりだった。
 しかし彼女の心配は杞憂だった。

 このアナウンスが終わってしばらくすると、機内のあちこちで
   パチ、パチ、パチ・・・
と、やや遠慮がちに始まった拍手が次第に大きくなった。
 そしてしばらくすると、ほとんどの乗客が拍手を始め、機内は拍手の渦に包まれた。
 なかには立ち上がって、彼らの方を向きながら拍手するものまで現れた。
 乗客は機長のアナウンスを聞いて、瞬時に貧相な身なりの彼らが自衛隊員だと分かったのだ。

        3

 と、その時だった。
 信じられないことが起こった。
 件のトラブルを起こした男性が立ち上がるや、自衛隊員のところへ歩いて行き、その一角に立った。
 大野は、また新たなトラブルの再発を懸念し、すぐに近くに走り寄った。
 ところがその男性は、自衛隊員に向かって
   酒に酔っていたとは言え
   先ほどは失礼なことを言って
   すいませんでした。
           あなた方のアフリカでのご活
   躍はネットで知っていました
   本当に危険な任務ご苦労さま
   でした       
           でもまさか、失礼ながら
           身なりがあまりにも・・ 
     なぜ国は、あなた方のような
     英雄をこんなみすぼらしい恰好
     で帰国させるのですか?
と言って謝罪し、深々と頭を下げたのだ。
 これは大野も予想しないことだった。
 彼の矛先はいつの間にか国に向けられていた。
 そして近づいてきた私に対しても
   先ほどはすいませんでした
と蚊の鳴くような声で小さく言った。
 そしてその男性が自席に帰ると、今度は他の乗客までもが自衛隊員たちのそばまで行って、彼らに握手したり、一言二言語りかける風景となった。
 みな口々に
   ご苦労先でした
   ニュースで見ました
   大変でしたね
   よく頑張ってくれた
などとねぎらいの言葉をかけており、隊員は少しはにかみながらもそれに応じていた。

 大野はその光景を見て、なぜか目頭が熱くなった。
 自分の考えが杞憂に終わったことの安ど感もあったが、それよりも乗客のほとんどが自国のために頑張った自衛隊に対して拍手をしてくれたことが嬉しく、同じ日本人として誇らしく思ったからだ。
 一緒に近寄ってきてくれた山下から
   チーフ涙が・・・
と言われたが、彼女の目もなぜか充血していた。

 そして今度は自衛隊員の中から一人の男性が立ち上がり、手招きされたので近くに行った。
 するとその男性は
   私は、隊長の〇〇です
   機長にお礼を言いたいので
   コクピットに行かせてもらって
   もいいでしょうか
と鄭重に申し出た。
 普通飛行中も含め、乗客がコクピットに立ち入ることは許されていないが、機長挨拶に万雷の拍手があった直後だけに機長に伺いをたてたほうがいいと思い、その隊長には
   しばらくお待ち願えますか
と伝え、足早に機長席に向かった。
 隊長の要望を聞いた機長は
   いいよ、特別に許可しよう
と言った。

 機長の許可を伝えるとその隊長は私についてコクピットに入り、機長に対して直立不動の姿勢を取り
   先ほどはありがとうございました
   隊員も大変一同喜んでいました
と言って敬礼したあと、深々と頭を下げた。
 先ほどトラブルを起こした男性も深々と頭を下げていたが、隊長の頭の下げ方も深々としたものであった。
 これを見て大野は
   いろいろあったけど
   同じ日本人なのだ
と再び目頭を熱くした。
 そして機長は
   私も以前は、航空自衛隊に訓練
   生としてお世話になったことが
   あります
   今回の海外派兵に伴ってご苦労
   なさった皆さま方に対しての国
   の扱いはあまりにも酷いものだ
   と感じておりました
   ただ、そのような日本人ばかり
   ではないということを示したか
   ったのです
   幸い今回ご搭乗されたお客様か
   ら私のアナウンスに万来の拍手
   をいただいて意を強くしたとこ
   ろであります
   まだまだ日本人も捨てたものじ
   ゃないなと・・・
と答えた。

        4

 飛行機は長いフライトを終え、無事成田に到着した。
 飛行機のドアが開くと、乗客は長旅の疲れも見せず、それぞれの荷物を手に搭乗口に向かい始めた。
 自衛隊員は一般の乗客が出るのを待って降りて行ったが、それぞれ機外に出る前にコクピット席に向かい敬礼をして、頭を下げて出て行った。
 大野は搭乗口で降りていく自衛隊員を見送りながら
   ありがとうございました
と、少し声を詰まらせながら言い続けた。
 滲み出る涙で、まともに顔をあげることができなかった。
 CAとなってもう20年近く経つが、乗客に対して搭乗口で顔をあげられなかったことなど初めてだった。
 ただ彼女の自衛隊員に対する
   ありがとうございました
は、単に搭乗に対するお礼の言葉ではなく
   日本のために
   ありがとうございました
という意味が込められていた。

 機長は今年最後のフライトを終え、機をあとにして飛行場内の通路を出口に向かって歩いていた。
 すると先ほど降りたはずの隊長が、彼の行く先で待っていた。
 そして
   機長もよいお年を!
          それからウィスキー
           ありがとうございました❗ 
と大きな声で言った。
 その時彼の手には、機長がチーフの大野に申し付けて
   私のつけでよいから、自衛隊
   の皆さんで飲んでくださいと
   言って渡してもらえないか
と頼んでいた機内サービス用の特別なウィスキーが握られていた。
 機長は
   私は何も特別なことはしてません
   世界中、自国の軍人に敬意を払う
   のは当たり前ですから
            私がしたことは他国の飛行機でも
            やっていることです
            飛行機乗りとして当然のことを
            したまでですよ  
と答えたところ、隊長は
   分かってますよ
と言って、ニッコリ笑って手を振りながら離れていった。
 彼の後ろ姿には、国家の重大任務を成し終えた安ど感と満足感が現れていた。
 そしてウィスキーの瓶を握った手を高くかざして振りながら、待ちわびた家族のもとへ足取り軽く出て行った。
                  (搭乗人物の名前は仮名です。)


      エピローグ


 この小説のうち、自衛隊のルワンダにおけるPKO活動とそれに対する機長アナウンスは事実に基づくものである。
 この実話部分は、既にネット上で数人の方が出している記事なのでご存知の方もいらっしゃるかと思うが
   機長とは言え、ひとりでもこれだけ
   素晴らしい行動が取れる
   そして多くの乗客が機長アナウンス
   に拍手したということは
   日本人も捨てたものではない
と、いたく感動したので、短い小説という形で上梓した。

 なおこの日航機長は、1947年徳島県高松市生まれの
   森 充(みつる) 氏
で、2007年に定年退職されておられる。
 航空歴38年、総飛行時間16,347時間に及ぶベテランパイロットだった。



現役時の森氏



 氏はこの感動実話が、作家の高山正之氏が週間新潮に連載されている
   変見自在
というエッセイコーナーでも紹介されたことについて
   この記事は、私が1994年の年末に、ル
            ワンダ難民救援国際平和強力業務先遣
            隊のしんがり部隊を乗せた時のことで
            しょう
   以前から顔見知りだった高山さんにそ
            の時のことを話したことがあったの
            で、それを素に書かれたのだと思いま
   す
   当時の世情は、まだ自衛隊に対する風
   当たりが強く、そのような世論を意識
   してか海上自衛隊の掃海部隊派遣の際
   も総理以下誰も国を守る自衛隊に対す
   る敬意が欠けており、私自身義憤にか
   られていた頃でした
   そこであまりにも自衛隊員が気の毒で
           はないかと思い、勝手に『国民になり
   代わって』と一席本音をぶったわけで
            あります。
      しかし公海上空のことであり、自国の
            軍人に敬意を払うという国際慣習にの
            っとった機長として当然の責務を果た 
    したまでのことです
    自衛隊を国外に派遣した以上、公人と 
    しての労をねぎらうのは国民の前堂々
    と行うべきでありますが、当時の政治
    家・官僚にはその礼儀もわきまえぬ者
            が少なからずおり、義憤の念を禁じ得
            ないところでした
とも述べておられる。

 私がこの小説を通して最も知って欲しかったのは、機長のアナウンスはもとより、これに対する搭乗客の反応だ。
 その頃の日本は、自社さきがけ連立政権と言う時代で、政権内に社民党があったことから自衛隊に対する風当たりも強い時代だった。
 しかし一方PKO活動等、自衛隊の海外派遣による国際貢献の気運も高まっていたことから世論も微妙であり、政権もその取扱いには神経を尖らせていた。
 そんな折に起こったことが今回上梓した物語である。
 文中、酔客のトラブルにかかる描写は私の創作だが、そのほかの部分は上記高山正之氏の「変見自在」や、ネット上の記事を参考にしたもので、ほぼ実話どおりの内容となっている。
 機長のアナウンスでチーフパーサーは乗客の反応を心配したが、それは杞憂に終わり、機内は自衛隊員に対する万来の拍手に包まれた。
 外見から難癖をつけた酔客でさえ、隊員の近くに行きその非をわびたほどだった。
 当時のメディアは、反自衛隊的報道姿勢が強く、まるでそれが民意かのような報道ぶりが多かった。
 しかし、この機内で起きたことに対する乗客の反応はまるで正反対のものだった。
 これも自衛隊に対するひとつの民意と言えるのではないだろうか。
 メディアの作り上げた「反自衛隊」的論調は、彼らが勝手に作り上げた民意と言えるのではないだろうか。
 その証拠に、この話が大手メディアに取り上げられることは一切なかった。
 なぜなら彼らの論調に反したからだ。
 しかしメディアがどんなに「架空」の民意を作り上げても、国民の本当の民意は
   国のために貢献した人には
   最大限の賛辞を捧げる
というものだったということではないだろうか。

 どんなにきれいごとを言っても、国際社会は権謀術数の駆け引きの場であり、その外交の後ろ盾となるのが軍事力である。
 これは有史以来変わることのない法則で、その矢面に立つ「軍人」に敬意を表するのも世界共通の常識だ。
 日本は憲法の縛りからいつまでも「自衛隊」という名前でごまかしているが、世界的には有数の軍事力を持つれっきとした軍隊だ。
 であれば、国際慣習に従って彼らに敬意を表した機長は、まっとうな日本人であるとともに、国際感覚も堅持した立派な方であったと思う。
 願わくばこの記事が少しでも多くの方に読まれ、日本人であることに誇りを持てることの一助となれば幸いだ。
 そして今日も日本の津々浦々で、現在の「防人」として日夜奮闘している自衛隊員に思いを至らしてほしい。



   
 
    



        




















 
 
  

        

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