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最も多かったのは日本だった

日本とトルコの深い関係

    先日トルコの外相が、各国のトルコ大使館などの銀行口座に寄せられたトルコ大地震への寄付金の総額が4000万ドル(約54億円)に達したと明らかにした上で「最も多かったのは日本だった。」と記者団に語ったらしい。
    トルコ大地震については、世界中の国から多くの支援が寄せられているが、日本とトルコの関係は、歴史的にも長いものがある。
    物語は明治時代に遡る。
    1889年(明治22年)7月、イスタンブールを出港したオスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦である
              エルトゥールル号
は、翌年6月に日本への表敬訪問のため、日本を訪れた。
    しかしその帰途の9月16日夜半に、和歌山県紀伊半島の沖合いで、折からの台風による強風で座礁沈没した。
    これにより、司令官をはじめとする約600名もの乗組員が荒れ狂う海に投げ出されて、500名あまりが死亡または行方不明という大惨事に見舞われた。
   この難を聞き知った近くの漁民等は、総出で救助と生存者の介抱にあたったほか、その後国も軍艦を派遣して生存者をトルコまで送り届けるなどした。
    このことに対して、当時のオスマン帝国の人々は、遠い異国である日本と日本人に対して、深い感謝の念と好意を抱いたと言われている。
    時は変わり、1985年3月、イラン・イラク戦争が続いていた頃、イラクのフセイン大統領は、「今後敵国であるイラン上空を飛ぶ飛行機は無差別に攻撃する。」という声明を発表した。
    このため、イラン在住の日本人は慌てて出国を試みたが、日本政府はおろか、他のどの国も、航空の安全が確保できないという理由から救援機の派遣を見合わせるなか、唯一救いの手を差しのべてくれたのが、トルコ共和国であった。
    そしてトルコから駆けつけた2幾の救援機により、日本人215名全員がイランを脱出することに成功した。
    当時イランの首都テヘランには多くのトルコ人も住んでいたものの、トルコ政府は、航空機を優先的に日本人に提供し、自国民は陸路で避難させたらしい。
     日本政府やマスコミは、なぜトルコの飛行機が救援に来て来れたのか分からなかったらしいが、後に当時の駐日大使だったネジアティ・ウトカン氏は
            エルトゥールル号の遭難の時に、
            日本人がなしてくださった献身的
            救助活動は、小学生の頃歴史の教
            科書で学びました。
            トルコでは、子供たちでさえ、そ
            のことを知っています。
            今の日本人が知らないだけです。
            だから今度は私たちが、テヘラン
            で困っていた日本人を助けようと
            思って飛行機を飛ばしたのです。
            私たちは、エルトゥールル号の借
            りを返しただけです。
と語ったらしい。
    自国の歴史を正しく将来に語り継ぎ、はるか昔のことであっても自分たちの祖先が受けた恩を決して風化させないようにしている国とそうでない国・・・
    なぜ我が国の政府の要職にあった人々が、その時エルトゥールル号のことに思いが至らなかったか恥ずかしい限りである。
   しかし今回のトルコの地震に対してトルコの大使館に寄せられた寄付金も、そのほとんどが個人やボランティア団体によるものであったことに鑑みる時、以外と日本人一人一人は、そのDNAのなかに
                 人様から受けた恩は   
                 決して忘れてはならない
というものが刻みこまれているのかもしれない。
     今回日本人の寄付金が一番多かったのは、イラン・イラク戦争の時に日本人を助けてくれたことを忘れていなかった多くの日本人が、そのことに対する恩返しをしたかったという気持ちを抱いていたからなのではないだろうか。
    そうであれば個々の日本人も、まだまだ捨てたもんじゃないようだ。
    ただ心配なのはこの国のお偉いさんだ。
    今回トルコへの義援金のトップが日本だった理由が分かっているだろうか。 
     まさかイランから多数の日本人を救助してくれたのがトルコだったことをもう忘れてしまったのではないだろうか。
    歴史は、単なる学校で学ぶ科目のひとつではない。
    その後の未来に生かしてこそ価値があるものである。
    
     
    


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