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屋形島不可思議紀行〜オーナーがみた周囲3kmの旅〜


屋形島を訪れたゲストに会うことで自分も旅をしている気分になる。

友人にそんな話をすると、屋形島に旅人が訪れたとき、オーナーはどんな景色をみてどんなふうに感じているのか興味があるのでnoteに記すように促された。約束はしたつもりはないけど、したと言い張る強引さに負け、ここに綴ってみようと思う。

その言い出しっぺの来客が訪れた時の物語だ。

人生は選択の連続だ。これは間違いない。選択をしない人はいない。誰しもが様々な選択肢の中、未来を紡いでいる。意識的な選択もあれば、無意識の選択をすることもあるだろう。それでも選んだのは一つの岐路に一つの道。他の選択が繫ぐはずだった未来を生きることはできない。

1997年、島生まれ島育ちの私は島をでる選択をした。
島を出てまで進学した高校を2年の半ばで中退した。
そのほか、スタバでラテかフラペチーノか迷ったすえモカにしたこともあれば、ラーメン屋で大盛りにして後悔したこともある。人生は大小問わず選択の連続で今がある。

そんな無数の選択肢の中でなぜか屋形島ゲストハウスに来ることになった人たちがいる。

どこをどう間違えて、もとい、どんな理由でここを選んだのか。私には分かりようがないが、ゲストハウスをやってると人はやって来るのだ。

9月某日、Twitterで知り合った吉川さんという女性が屋形島にやってきた。ややコミュ障の私がTwitterでは良く絡むほうだったがまさか屋形島までほんとに来るとは思ってなかった。(失礼ですません)

屋形島は「わざわざ」訪れる場所だ。紀伊國屋行ったついでにドトールによってこう、みたいな感じで訪れる場所ではない。目的があって、予定をたてて、道のりを考えて、宿を予約して、下調べしたらご飯食べるところがなくて、自分で食材調達することを考えて、、、頭が痛くなってくる。ゲストハウスをしておいてこんなことを言うのもなんだがはっきり言って面倒くさい。

そんなところに「わざわざ」遠くからくる人はどんな思いを抱いてるのだろうか。何を期待して、何をもってそこに行くことを選んだのだろうか。

基本的には屋形島までは定期船で来てもらうが、遠方からのお客さんは時間の都合が付きづらいのでこの日は港まで自家用船で迎えに行った。

とりあえず小腹が空いたので、港に或る行きつけの酒屋の奥さんが作っているトマトハムサンドを買って道の駅で待つ。余談だが、そこの酒屋は田舎らしからぬ品揃えで、ナチュールワイン、日本酒、クラフトビールなど地酒も含めいろんな種類の酒を扱ってる。県外からの取り寄せもあるくらい人気なのだ。ゲストハウスでお酒を飲みたい方は是非チェックしてほしい。

https://www.instagram.com/liquormart_shiotsuki/

道の駅は祝日でコロナ禍の割に珍しく賑わいがあった。同じ空間にいるけど交差することのない人達が隣のベンチに腰掛けたり、目の前を通り過ぎたりする。その人達にもストーリーがあって、その中に何かしらのメロディのように流れる心の動きがあったりするのだろうが私には分かりようもない。そして彼らの物語から見れば私も通りすがりのエキストラでしかないのだろう。

いつもそうだけど、人に会うときは恥ずかしい。どんな顔をしていいかわからない。初めての人でも、久しぶりの友人でも変わらない。普段からニヤけ面なので表情をキリッとさせ、心のざわめきを悟られないように辺りを見回す。そのときの仕草は滑稽に違いないけど、自分では確かめようもない。人は鏡でもなければ自分をみることができないのだ。

道の駅では流行のJPOPが少し大きめの音で流れていた。yoasobiかヨルシカかずっと真夜中でいいのか分からないけど多分そんな感じのちょっと切ないメロディが目の前の景色を少しドラマティックに演出する。そうしてると1人の女性が、おそらく私と同じようにそわそわしながら辺りを見回しているのを見つけた。見たことがある。twitterのアイコンで、投稿の写真で。

目と目が合う。。。

いやいや、これは恋愛の物語ではなかったはずだ。私は既婚者でこれはゲストハウスの物語だ。とひとり心の中で突っ込みをいれ、おそるおそる声をかける。

私「吉川さんですか?」

Y「はい!たけしさんですか?」

私「はい、そうです。はじめまして」

Y「はじめまして」

二人「・・・」

私「なんか不思議な感じですね」

なんだ不思議な感じって。どんな感じだ。ほんの一瞬の沈黙の長さに耐えきれず出た言葉「なんか、不思議な、感じですね」意地の悪い友人がその場にいたらしばらく弄られそうなセリフだ。文字を強調してみよう。

「なんか不思議な感じですね」

恥ずかしい。人とはじめて会うときに面白いことを言える人はこの世にどれだけいるのだろう?少なくとも私はリアルでは気の利いたことも面白いことも何一つ言えない人間だということをこんな瞬間にいつも思い知らされる。

文字なら書ける。Twitterでなら言える。夢の中でなら愛を告げれる。何の話だ。これはゲストハウスの話だ。とにかく人と会った時のコミュ力。これはネット社会では成長しないもののように思う。事件はオンラインで起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ。

吉川さんはTwitterではいつも朗らかで前向きでポップで爽快なツイートをする。たぶん読み手の心に寄り添い細やかな心を言葉に行き渡らせることを意識してるのだろうと思わせるツイートだ。誰も傷つけない言葉は存在しないけど、細心の注意を払って吐き出す言葉には愛を感じる。

https://twitter.com/risa_kyokan?s=21

実際会った印象もそんな感じで、細やかな心を持ちながら、ピンときたらどこへでも飛び込める大胆さを兼ね備えているように見えたし、言葉の隅々に行き渡った配慮も感じた。

それはそうと、これはいつも思う事だが女子一人旅で人口14人の島に来るのは相当勇気がいるのではないか。もし島の住民がみんな人狼だったらとか、そうじゃなくても村のおかしな風習があってそれに巻き込まれて島から脱出できなくなるB級サスペンスのようなストーリーは想像しないのか。怖くなってやっぱり帰りますと言われても困るのでそんなことは口には出さない。

話は逸れたけど、とりあえずとベンチに腰をおろし、サンドウィッチを食べながら吉川さんのこれまでの旅程の話などを聞く。人の旅路の話は面白い。

吉川さんはちょっとした人生のターニングポイントでふと思い立ち沖縄に行ってたらしい。沖縄の友人、陶器作家との出会いを通して繰り広げられる思い出話は、まるでアルケミストの主人公サンチャゴが旅を通して、出会いの中で必要なことを経験し学んでいく物語に聞こえてくる。それはきっとそんなストーリーを吉川さんが選んでるんだなと思った。

そして屋形島へはちょうど沖縄から福岡空港着の便で安いフライトがあったらしく、そのときにここの事を思い出したとのこと。まさか、紀伊國屋行ったついでにドトール行くような勢いとノリで屋形島を思い出すとは。屋形島は「わざわざ」来る場所だとかっこつけて言った自分の自意識過剰さに赤面しつつ話は逸れたので先に進める。

1人の人がどんなものを見てどんなことを思ったか。当たり前だけどその人が何かを見てそのことについて話す内容が、その視点が、そのイメージがその人なのだ。

そんな吉川さんと道の駅のベンチでいろんな話をしたけど、昔から知っているような間合いで話していることに気づく。いつも人と話をするとき、距離感のバランスをとるのには少し時間がかかるのだが吉川さんとはさきに述べた彼女の(私のイメージだが)人柄か、持ち前のコミュ障も陰を潜めたのだろう。

当たり前だけど私たちは別々の人間だ。生まれた場所も育った環境も違う。同じサンドウィッチを食べて、同じ雑音にさらされ、同じ温度を感じ、同じ空気を吸いこんで、同じテーマを話しながらも、違う情景をみて、違う音を聴きながら、違う心象があらわれてるに違いない。それでも同じ空間にいて、同じ出来事に目を向けようとすることで境目が曖昧になる感覚はなんだろう。自分だけが感じてるものかもしれないし、お互い共有してるのかもわからない。それがいつもとても不思議で人と会うことをやめれないでいる。

屋形島を訪れたゲストに会うことで自分も旅をしている気分になる。

それは私にとって旅とは「知らない世界にふれる」ということなのだろう。知らない場所に行くように人と会う。その人の持ってる世界に触れて、自分の感覚や感情がなにかしらの反応をする。それは心地いいときもあれば不快なときもある。でも自分の世界が他者の世界と出会うことで揺さぶられること、それこそが自分の求めている旅なのだ。

ちなみにこの時点で吉川さんはまだ屋形島に辿り着いてもいない。続く、、、かはわかりません。





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