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若者こそ田舎に行った方がいいかもねって話

申し訳ないが、少し酔っている。飛騨に引っ越して初めて、町内会の会合に参加し、お酒をいただいたのだ。ビールにチューハイ、地元の日本酒。特に日本酒は素晴らしく美味しかった。そんな酔いどれアラサーが書く、恥しnoteだけれど、明日の朝に自分で読み返しても納得できる思う。何を書くかというと、表題通り、若者こそ田舎に行った方がいいんじゃないかって話だ。

無条件の価値

酔っていても目次くらいはたてられる。ここで言いたいのは、無条件にあなた、若者に価値を見出してくれる場所が、どれだけありますか?ということだ。ご多分に漏れず、ぼくが引っ越してきた地方の田舎町は高齢化が進んでいる。ゆえに、若者は貴重だ。アラサーでも、流入すれば平均年齢はいくらか下がる。力仕事だって頼めるかもしれない(ぼくはやる気満々だ)。「できるだけ長居していただいて・・・」そういった町内会町の言葉を、ぼくは有難いと思った。

自分の存在価値を、諸手を挙げて表明してもらえるという体験は初めてだったかもしれない。若いというだけなのに。だからこそ、ぼくはこの町で、この町の人と、なんとか長くやっていきたいと素直に思った。これは「地方が高齢化してますね」とか「やっぱり過疎ってますね」とか「地方創生に貢献したい」とか、そういうことじゃない。感謝の問題だと思う。

どれだけ好奇心がある?

このnoteは、決して未来のぼくを縛るものではない。ただ、今日の感謝を忘れないための備忘録ではある。

今日の会合だけで、かなり地域に関する情報を入手した。それは主に、町の人々に関するものや、方言に関するものだったが、それ以上に意義を持っていたのは、ぼくの好奇心が生き生きと刺激されていたことだった。

東京でサラリーマン記者をやっていたとき、仕事以外で好奇心をそそられることなど、正直言ってあまりなかった。特に隣人に関しては。アパートの一室を借りて、上の階や隣の住人に挨拶はしたが、それもそのとき限り。以降はとくに気にもしなかったし、何ならやたらと咳が多くて、朝方小うるさい住人という認識しかなかった。

それがどうだろう、ここでは「あそこの誰々さんは、釣りじゃあ一流」とか「あいつは酒飲みなだけあって、酒に関しては誰よりも知っている」だとか「ここはみんな人が良くて、とにかく酒をすすめるから、断るときは断らんと」とか、そういう話を聞いていると、この地域について、住民について、もっと知りたくなる。こんな会話をくだらない思うだろうか。それはさておき、今日、ぼくは楽しくて、町長の言うようにできるだけ長くここにいたいと思った。

もちろん、東京vs地方みたいな、陳腐な二項対立で語るつもりは毛頭ない。東京の暮らしは、それはそれで魅力があったし、それを楽しんでいた。ここでは、自分の性質が変わったということを話している。

浮世離れしてないかい?

世とは一体何のことだろう。「世間」とかよく言うけれど、そこに自分は、本当に属しているだろうか。今日ぼくは、ぼくが属する世間を知った。

先日、近所の釣り名人が「飲水思源」という四字熟語を教えてくれた。つまりは、水を飲むときには、井戸を掘ってくれた人や、水をもたらす雨、あるいはそれを蓄える森といった、源に思いをはせよということだ。これは、ぼくがこのところ考え続けてきたことであり、見失っていたことでもあった。

以前は、自分が摂取するものの源が想像できなかった。日常的に消費するあまたの国内外の食品や産物は、目の前に提示されて当然と言わんばかりの代物だった。そして、それをただ消費した。源?産地?そんな疑問は浮かぶまでもなく、ぼくはぼくの世間を見失っていたと思う。つまり、小見出しにあるように浮世離れとは、そのことだったわけだ(この際、ぼくの自己定位能力の低さは棚に上げておこう)。

それがどうだろう、ここでは台所に山の水が引かれていて、御近所さんがこれでもかと親切にしてくれて、お裾分けをもらうことだって珍しくない(どうお返ししようか迷ってしまうほどだ)。ここには生活の源があり、ぼくが属していると自覚できる世間がある。それは、存在を俯瞰したり、捉えたりできる貴重な事実ではないだろうか。

逆張り

そんなこんなで、引っ越してきて一週間は最高な気分で過ごしている。これがいつまで続くかは知らないし、もしぼくが半年後に東京・八王子の実家に戻っていたなら笑ってほしい。ただ、とかく若者が都市に集中するご時世だ。こんなときこそ逆張りで、田舎にいくのも悪くないんじゃないかと思う。どこか一つだけを無理に選ばなくたっていい。これだけ狭い日本だから、2拠点3拠点を行き来したっていいじゃないか。「田舎に住むなら若いうち」、そんなことを感じた一日だった。


酔っているが、誤字脱字は大丈夫だろうか・・・。

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