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漕日#4|自然の情報を活かせないぼく

 久しぶりのテント泊が快適すぎた。昨晩は晴れにも関わらず驚くほど暖かく、シュラフを羽織っただけで眠った。朝起きると、寝袋を体に纏わせたまま、朝飯の支度を始めた。まだ眠いけど健やかな朝。

 テントのフライシートを写したオレンジ色の視界。朝食の炊き込みご飯を加熱するバーナーの音、規律正しく打ち寄せる波、外は曇っているようだったけれど、すべてが心地よい。

 潮が引き始めていた。あまり引きすぎてしまうと、カヤックを波打ち際まで運ぶ距離が長くなるので、てきぱき支度していく。全ての荷物をパッキングした状態のカヤックは50kg以上あるので、流石に持ち運べないし、引きずれもしない。だからまずカヤックだけを波打ち際に運んで、それから荷物をテン場と往復しながらパッキングしなければならない。この朝の出発準備は意外と時間がかかる。9時45分。出発。漕ぎ始めてしばらくすると、前方に虹がかかった。

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 昨晩もそうだったのだけれど、なぜか昔の事ばかり思い出す。街で取材活動をしているときは、これから書くルポの構成をどうしようかとか、書き上げた後は何をしょうか、これからの未来はどうなるだろうなんて先の事ばかりで頭がいっぱいだったのに。何でだろうと考えてみる。

 たぶんこれは、接する情報の違いじゃないだろうか。電波が届く範囲で生活している時には、ニュースサイトやSNSで情報収集を欠かさず行っていた。というか暇な時間が多く、その時間を充てていた。5GやらAI時代やらといったコンテンツばかりに触れていると、とにかく未来型思考になる。もっとも、それは悪いことじゃない。未来型思考も行き過ぎれば、現在がおろそかになるだろうけど、より良い未来を生きようと思うなら先を見通す力が必要だ。

 一方で、自然が与えてくる情報は膨大で、それらを処理・活用するには経験や経験、技術がいる。ただ、文明下での生活に慣れきっているぼくにはそのどちらも欠けている。空を見て「今日は1日雨だろうな」といったごく近い未来の予測や、「あそこに魚がいそうだ」といった想像にしか情報を活かすことができない。そうすると、風向きが急変したりしない限り、だんだん情報感度も鈍くなっていって昔の出来事を思い出すくらいしか頭の使い方がなくなってくる。情報に敏感になるには、キャパが必要であるとともに、それを生かし続けられる知識の蓄積が必要だった。ぼくにはパタゴニアという土地で蓄積した知識などほとんどなかった。

 そこまで詳しくは知らないけれど、パタゴニア沿岸には魚介を食べながらカヌーで移動を繰り返した先住民がいたらしい。きっと彼らにとっては鳥の種類、その飛び去る方向やさえずり方、森の色づき方や波の形、雲の形や夜空の星々、無限の情報が有益だったに違いない。ぼくにはパタゴニアのウミウとの久しぶりの再開を喜ぶことぐらいしかできない。もっと知識と経験を蓄えて、自然が持つ情報を活かせる人間になりたいものだ。

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  昼前になると、雨が降り始めた。前回の旅でテントを張って夜浸水しかけた砂浜の前には、当時と変わらず無数の流木が漂流していた。同じことは繰り返さない。そのままカヤックを漕ぎ進め、先を急いだ。


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