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漕日#2|暮らしに必要なのは25kg

 10月19日、快晴。もろもろの用を済ませ、宿の近くにある売店でセビチェとバナナを買う。セビチェは生魚をレモンでしめて、刻んだタマネギやパクチーと和えた南米料理。これからカヤック旅行に出かければ魚介生活だってのに、なぜか無性に食べたくなった。そうだ、旅にはレモンもなければ野菜もない。あるのは米と油と塩と醤油。あ、あと唐辛子。さてと、最後の腹ごしらえを終えて、おかっぱの宿主にあいさつ。荷物は二回に分けて浜に運んだ。

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 旅で使うのは、フォールディングカヤックと呼ばれるタイプのもので、マグネシウムとアルミニウムの合金でできたフレームに、スキンを被せた折りたたみ式のカヤック。重量は25kgで、バカでかいけれどバッグに収納できるので、飛行機や電車でどこかにいって旅できるうえに、収納スペースにも困らない。国際線なら23kgの荷物が二つまで無料で預けられる航空会社は少なくないので、こうして海外にも持ち出せる。今回もキャンプや旅の道具を二つのバッグに分けて収納し、トータル50kgでのろのろやってきた。

 しかし、このカヤックの組み立てには毎度苦労する。フォールディングカヤックのメーカーもいろいろだけれど、ぼくが使うメーカーのものは丈夫でフォルムが美しいのはいいんだけれど、組み立てがとにかく大変。テコの原理を使いながらフレームにテンションをかけて、スキンに張りを与える。曇りや雨で、風が吹けばダウンジャケットが必要になるほど寒いってのに、快晴下の作業に玉の汗をかいた。

 赤褐色の石がゴロゴロした港を横目に見ながら作業を続ける。と、警察のパトカー。パトカーといっても、いわゆるピックアップトラック。チリでも特に南部の田舎の方は、このピックアップトラックがパトになっているケースが多い。ーー土曜日だってのに珍しいな。そんなことを思いながら、何にも悪いことはしてないけれど反射的に目をそらして、カヤックと格闘した。

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 目をそらすと余計に怪しまれるって相場は決まっている。パトカーはバックでぼくのところまで戻ってきて、若い警官とマッカーサーみたいなおっさんが降りてきた。こういう時には社交的にならないといけない。明るい調子でフレンドリーに会話して「私は無害ですよ。何なら仲良くしたいくらいっす」ということをアピールしないといけない。

「何してんだい?」

「いやー、カヤックを組み立ててるんですよ。ちょっとその辺を漕ごうかなって。釣りもしようと思うんですけど、どこがいいとかある?」

「アニータ川では、でかいサーモンが釣れたって聞いたよ]

「へー、聞いたことない川だ。シスネス川の河口なんかはどう?」

「あそこもいいね。でもシーバスだな」

 他愛もない会話をして、カヤックについてひとしきり質問され答えると、彼らは去っていった。もたもたしているうちに干潮時刻が訪れて、出発の際にカヤックを運ぶ距離が延びてしまった。カヤックを波打ち際まで運び、防水バッグに入れた全ての荷物を格納する。テントやシュラフといったキャンプ道具だけでなく、ノートPCや書籍といったカヤック旅行とは関係ないものも全て。もうこのプエルト・シスネスには戻らない。

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 毎度思うが、生活必需品なんてカヤック一つに収まってしまう。ここまで数ヶ月間、チリでの生活で使ってきたすべてが全長5mのカヤックに。日本に帰っても身軽に暮らしたいもんだ。

 そうして全てを詰め込んだカヤックに乗って漕ぎ出す。少し油が浮いているのが気になる。水路を挟んで向かいに見えるマグダレーナ島には、まだ雪が残っていた。

 振り返ると標高1635mのエル・ポルトン山の麓にある小さなプエルト・シスネス。カヤックに詰めた荷物に勝るとも劣らない、不必要なものを必要としない、コンパクトでいい街だった。フェリーの中で出会った吹奏楽部の学生たちは、練習に励んでるらしい。その音を聴きながら、船首を再び南西に向けた。

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