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「言語家」が描く、医療デザインの輪郭

医療デザイン Key Person Interview:宮田 正秀

日本医療デザインセンターが定義する「Design(デザイン)」は多岐に渡る。辞書に出てくる「図案、下絵」と比べると、カバーする領域はあまりにも広範囲と言っていい。

環境デザイン、建築デザイン、情報デザイン、コミュニティデザインなど広義のデザインをツールとして「すべての人が安心して豊かに生きることを目的」とする定義を最初に作った人物がいる。

そのうちの1人が監事として名前を連ねる宮田 正秀(みやた まさひで)だ。「言語家」という馴染みのない肩書が示す通り、宮田が卓越しているのは整理して、言語化する力。

日本医療デザインセンターを内側から支えてきた宮田の言語化の力、コミュニティを健全に発展させる力を伝える。

ITで人をつないできた事業家

宮田が歩んできたキャリアは変化に富んでいる。上智大学卒業後に出版社で教育ソフトの制作を手がけたところからそのキャリアはスタート。時は1980年代、人々の生活にパソコンやスマホが浸透するだいぶ前から、ITの畑を歩んできた。

「一貫して新しいものが好きなキャリアでしたね。CD-ROMも昔はビッグビジネスでした。勤め先にも出資が加わり急成長していたのに、突然潮目が変わってね。Windows95の登場で、マルチメディアから世の中が一気にインターネットになりました。」

ーーキャリア後半は「関心空間」にコミットされていましたね。当時としては画期的なインターネットコミュニティだったと聞きます。

「そうですね。口コミ型のコミュニティサイトで熱心なファンに支えられていました。mixiやTwitterやFacebookが台頭する前からやっていましたから画期的だったと言っていいと思います。コミュニティ作りの仕組みをANA、スノーピークなどの一流企業にも導入していただいて。社会的意義の大きな仕事だったと思います。」


思わぬ挫折と”カマコン”を通じた地域活性

興隆が激しく、あまりにも劇的に環境が変わるのがインターネットの世界。宮田は外部から手伝いをスタートして、社長まで務めた15年であらゆる経験をしたと言う。

「外部ブレインから取締役に入り、上場を目指して投資先を募り、COO(最高執行責任者)になりました。その後、社長を任された後、出資、新規事業、上場企業の子会社化、会社分割、社長交代、2回の社名変更…。ベンチャー経営で経験できそうなことは、倒産以外一通りを経験しました(笑)。」

そして、我が子のように育てた「関心空間」は2016年に惜しまれながらもサービスを終了する。

「半ば『強制終了』だったのでその瞬間、途方に暮れてしまいました。自分がこれしかないと思っていた事業が終わってしまい、次にやりたいことが浮かびませんでした。
私はもともと『新しいもの好き』でここまで来ましたが、現在もてはやされているAI、VRにしても、その時点でさえ『当然の進化が起きている』だけで驚きがなく…。次に来るものも読めてしまってる感じだったことにも改めて気づきました。

生意気と思われるかもしれないけれど、スマホさえも今は驚きがありません。『起業しないんですか』とよく聞かれましたが、既視感がある未来を追いかけるだけでは熱くなれないんですね。」

ベンチャー経営者としては一線を退き、様々なプロジェクトをサポートして立ち直る中で、期せずして宮田は「言語家」として新たな道を歩み始める。


「言語家」を名乗ったワケ

鎌倉の地域活性団体「カマコン」。2013年、鎌倉を地元にしたIT企業たちが集まり、自分たちが暮らす町、地域を良くしよう、活性化しようという想いの元に地域活動を始めた。

カマコンの特徴はここでは細かく触れないが、ブレインストーミング(自由に意見を表明し合い、多数のアイデアを集める会議の手法)を通じて地域活性を行う独自の手法は、全国の自治体が視察に訪れるほど注目されている。

比較的早い時期から宮田も加わり、桑畑(現在、日本医療デザインセンター・代表理事)らとともに活動してきた。

「最初はただただ面白がって色々なプロジェクトに参加していました。だんだんとカマコン独特の楽しさ溢れる場を作ることが面白くなり、ファシリテーションや司会をするようになりました。

活動を通して、自分が気づいたのは、『楽しむ』ことの力です。皆が楽しそうな場だと感じて集まるのは、その場を作っている人たちが楽しんでいるからです。

カマコンのやり方を各地に広げていきたい。皆が楽しんで関わるファシリテーションの考え方、テクニックなどを教えてもいきたい。そんな話をしていたら、カマコンの仲間が「言語家」って名乗ったらいいんじゃないですか?と言い始めたんですよね。」

ーーえ、言語化?言語か…ですか。

「言語『家』ですね。言語化する人です。抽象的な話、構造が複雑な話や意見がぶつかっている話を『宮田さんが整理してくれるとスッと分かる』と言われて。実は日本医療デザインセンターの名刺にも言語家と入れてもらったんです。

コピーライターとは異なりますね。複雑な物事を構造化して言語化して、ときには『エッセンスはこれですか?』と抽出して紡ぎ出すようなイメージ。

言葉の選び方で相手の印象や行動が変わる体験がありますよね。単に事実を伝えるだけではなくて、もう少し踏み込んで伝えるときに言葉をどう選ぶか、などですね。」

ーーカマコンの価値、ご自身の特技も、さすが言語家らしいまとめです。

「はい、このように紐解けるとやはり気持ちいいですね(笑)。」

カマコンでの司会の様子


医療デザインと自身の看取り体験

やがて桑畑が構想した「医療デザイン」の構想に、宮田はすぐ共鳴した。言語化がイメージできたこと、また自身の両親、妻の母を看取った経験があるからだ。

「桑畑くんが『デザインと医療だ』と言ったときに、僕はピンと来たというか、可能性を感じていたのですね。だから、『じゃあ立ち上げから関わろう』と思ったのです。

父、母を看取った経験がベースです。小澤先生(※)にお願いする段取りを妹がつけてくれたのですが、後に医療デザインと聞いたとき、このときの小澤先生の言葉や振る舞いが僕の原点になっています。」
(※小澤竹俊氏=在宅クリニックを経営する緩和ケアの専門医。(一社)エンドオブライフ・ケア協会 代表理事)

両親を看取ってくれた(一社)エンドオブライフ・ケア協会 代表理事 小澤竹俊先生と。

ーー「医療デザイン」にどんな可能性を感じたのですか。

「医療で人を治す行為と看取る行為はベクトルが逆ですよね。だから、医療の中で看取りは未開拓分野となっていました。そうした未開の領域に光が当たるときは、まさにデザイン思考の出番です。

看取りは社会全体でもっと考えられるべきテーマ。また医療者たちももっと看取りに関わる人を育てなくてはいけないと考える時期になったので、私たちが挑むにふさわしい領域だと考えました。」

宮田の明快な言葉。日本医療デザインセンターの姿を具体化するのに、新しいもの好きな宮田の好奇心と言語化する力が貢献した事実は容易に想像できるだろう。

アメーバのような存在感

現在の宮田は自由だ。変幻自在に動き回り、組織の足りないところ、自分の得意なところに顔を出す。

ーー宮田さんの話を聞いていたら「アメーバ」みたいな人だなと感じました。柔軟で神出鬼没で、自由ですよね。

「おっしゃるように、アメーバのように自由で束縛されない状態が僕には一番大事ですね。いや違うな。『束縛されている』と自分が感じない状態ですね。自分の能力も活きるし、より磨いていく前向きな気持ちが生まれます。…これも、このインタビューを通じて言語化されました(笑)。」

ーー日本医療デザインセンターにはアメーバのような存在は必要な気がします。直感ですが…。

「うれしい表現です。日本医療デザインセンターの立ち上げ時に営利組織にしなかった意図も実はそこにあります。利害関係だけの共同体ではなく、医療関係者やメーカーなど、いろんな立場のステークホルダーがいます。
だから、僕は組織の在り方もデザインして、アメーバとして常にアップデートしていきたい。

これから病院での拠点を作ったり、医療デザイン学科をスタートしたり、誰も経験したことのない挑戦が本格化します。既存の医療機関などと、私たちが組むときにテクノロジーの話や、ファシリテーションで自分の良さを活かして関わりたいですね。」

そう言うと、宮田は嬉しそうに笑った。
新しいことを発見したときの子供のようだった。


取材後記

霧が晴れるとはこういう経験を言うのでしょう。宮田さんは決して「話上手、口がうまい」タイプではありません。でも1時間話しているうちに「難しかったはずなのに理解できてしまう」という不思議な体験を何度もしました。
「えーと」と、言い直す場合もあるのですが、そのときは、より伝わる言葉が確実に出てくるのが宮田さんのすごいところ。積み重ねてきた言語化の訓練と、そもそものセンスが垣間見えた楽しい取材でした。

宮田 正秀 プロフィール

神奈川県横浜市出身、鎌倉市在住。
出版社で教育ソフトおよびTVゲームの制作やCD-ROMビジネスの開拓に携わる。ITベンチャーでのコミュニティサービスの企画、運営、経営を経て、現在はITコンサルタントとして、また「言語家」としてさまざまなビジョンやサービスの構築をサポートしている。
鎌倉から全国に広がる地域活性活動「カマコン」にもコミット中。

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