三年越しの富士通系SIer退職エントリ

私は2011年にシステムエンジニアとして入社した新卒の会社を2016年の4月に退職した。富士通系の大手SIerだ。退職した理由はたくさんあるし、一切の後悔はしていない。むしろ良かったことしかないと思っている。

先日「メーカー系SIer出身エンジニアが脱出を語る。」というイベントに参加したが、こんなにも多くの若手SIer社員がいるんだなと驚いた。
話を聞くと当時のことを思い出してきた。
今日はその辺りについて、楽しかった職場 みんなのF2 Advent Calendar 2019のアドベントカレンダーの記事として書きたいと思う。

今までもたくさんの退職エントリが書かれてきたし、内容が重複することもあるかもしれないが、もしSIer出身で転職を考えている人がいるのであれば一つの意見として参考にしてもらえれば嬉しい。

私がSIerを辞めた理由

理由はたくさんある。その中でも代表的なものを紹介する。

1.謎のローカルルール
会社も然り、部署も然り、言語化されていない謎のローカルルールがたくさん存在した。
グループ全体で言うと、社内の人間に対しては「殿」を敬称として使ったり、部署で言うと新人は8時前に出社して全員分のゴミを集めないといけない、とか。
隔週や毎月行われる課会や部会の後の打ち上げの幹事はもちろんのこと、その際は3000円台で個室じゃないといけない、とか。
手取りでたった17万程度の新卒には毎月数回行われる飲み会は辛い。
ただ、不思議なことにその場にいるとそれが当たり前のように思えてくる。
一年上の先輩はみんなそれを当たり前のようにこなしていて、自分もそうしなくてはいけない、これが会社員というものだ、と自分に言い聞かせていたことをよく覚えている。

決してそれが当たり前ではないのに。

2.千里眼が手に入る

世の中はVUCAの時代だと言われている。VUCAとはVolatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取ったものである。
実際にテクノロジーの発達で世の中は目まぐるしく変化している。

それにも関わらずどうだろうか。千里眼を身につけたかのように未来が見えてくる。
数年後にはいくら貰えて、こういうランクになって、もう少し経ったらこのくらい貰えて、あの人がやってるような役割をやって、と言った具合である。

人生設計を堅実にしたいタイプなら向いてるだろうが、私はそういうタイプではない。この千里眼がとても退屈に思えた。

3.蔓延する時代遅れのテクノロジー

当然ここはITの会社である。入社前は最先端のテクノロジーを使ってるんだろうなと思っていた。
でも違った。そこにはたくさんのムダのあるシステムがたくさんあった。

経費精算は20年前からあるマ◯オフィスというものを使っていて、想定していない使い方をするとすぐにセッションが切れてやり直せねばならなかった。UXもひどく、もしまだ使っているとしたら本当に驚くべきことだ。

その他にも工数管理の仕組みもひどかった。
1時間単位の工数をどの案件に紐づくかを入力していくのだが、もちろん手作業で全て入力していくもので、その入力だけで1時間以上かかってしまう。

他にもある。ただ、これだけで長くなってしまうので、このくらいにしておこう。
少なくともとんでもなくムダなことだらけだった。
2019年現在デジタルトランスフォーメーションを謳っている会社でもうああいったシステムを利用していないことを切に願う。

顧客と向き合うべき時間を事務処理に奪われる。事務処理のために会社に戻り23時まで残業をする、これが当たり前だった。

4.労働集約型のビジネス

これは恐らく全てのSIビジネスに言えることだとは思うが、例に漏れず労働集約型であった。
プラジェクト管理費、といった名目で工数を盛った見積もりを顧客に提示し、案件をいかに高く受注できるかが勝負である。
もちろん工数を盛りすぎると競合に負けるのでそれを良い感じの塩梅にするのが経験でありスキルらしい。なんだよそのスキル。
まあ例にも漏れず私もそのスキルを身につけてしまうのだが。
そもそも労働集約的な仕事を破壊することがテクノロジーの一つの存在意義だと考えている。

この違和感は入社してからどんどん強くなっていったのを覚えている。

では良かったことは何か

辞めた理由は挙げたらキリがないだろう。上述の通り、たくさんの違和感があったし、その違和感は間違っていなかったということを転職後に確信できた。

ではそんなにひどい会社なのか?答えはNoだ。むしろ私の同期は絶望的に離職率の高い世代と呼ばれていたにも関わらず、それでも過半数、70%の人は今も辞めずに働いている。
私がマイノリティなのだ。それだけ魅力がある会社なのだ。福利厚生も充実している。

実際私は辞める時期の後悔はあれど、新卒としてこの会社を選んだことに一切の後悔はないし、本当に良かったと思っている。この選択は当時の自分の中でベストな選択だったと思う。

良かったと呼べる理由も列挙しよう。

1. トップレベルの教育水準
教育制度は本当に充実している。約4ヶ月ほど、神戸(といって奥地の山奥)で新人研修があった。

最初はビジネスマナーなど社会人としての基礎を1ヶ月以上やる。上座や下座についても徹底的に教えられる。エレベーターに上座、下座があることをご存知だろうか。

その後は技術的な研修でプログラミングやActive Directoryについて学んだ。
プログラミングは大学でも経験があったので割と容易だったが、ADの方は全く理解できなかった。Kerberosって何なのという世界。
ただこれが後ほど業務で利用するに従い、新人研修で座学で学んでいたため、Connecting Dotsとなりとてつもなく理解が深まった。

実践的なものから、そうでないものまで多種多様な教育を受けた思い出がある。

2. 働く仲間たち

私がこの会社を選んで良かったと思えるもっとも大きな理由である。

先述の通り、会社の仕組みではいまいちなところはたくさんあった。いまいちなことだらけだった。

ただ人には恵まれたと本当に感じる。
一緒に起業した友人も同期である。
私の妻も同期である。
他にも別の会社に転職して頑張っている非常に優秀な同期が何人もいる。
本当に2011年にこの会社に入って良かったし、その出会いから生まれたものが私は多かった。

そしてその他にもある。私は配属先に恵まれた。一般的にこの会社のSEはプロマネになることを求められる。必然的に仕事内容は外注管理や各種ドキュメントを書くことがメインとなる。
また、基本的にはコンサバな考えなので、実績のない技術は使わず枯れた技術を生業とする。実績のあることの焼き直しなので、必然的に技術力は身につかない。

そんな中私が配属された部門は会社の中でも技術部門だった。
当時にしてはまだ早かったクラウドを扱う部門でIaaSやSaaSを会社としてまだあまり実績のないことにチャレンジできた。
実績の少ないプロダクトが多かったので、理解するために自分で必死に検証したし、その分野の技術も身に付けることができた。
在籍した後半にはPLとして、SI費用だけで数億の案件を数社競合がいる中受注することができた。技術的な知見があり、提案が芯を食っていたということを評価された。

ただこれは私だけの力ではない。そういった技術を扱わせてくれた部署が良かったし周りも相談したらみんな親身になって聞いてくれた。
優秀な同期もいた。(彼は私が辞めた後にマイクロソフトに転職していった)
そういう意味で私は運が良かった。

一方で苦しい思いをしている同期がいたのも事実である。SEとして入社したにも関わらず、商品マスタを整備する仕事をしている同期もいた。毎日がExcelとの格闘である。もちろん彼も転職してしまった。

本当に日本企業の配属は運の要素が強い。私があそこに配属されていたら同じように、いやもっと早く辞めていただろう。

なぜ3年越しに退職エントリを書いたか

一つは冒頭書いたイベントに行って自分のことを振り返ったこと。
もう一つは会社を立ち上げたことだ。

私は先述の同期と会社をやりつつ、今も会社員をしている。いわゆる副業起業だ。
先日在籍している会社は上場を果たした。
私は3年在籍していて、もちろんできることは行い、微力ながら貢献もしていると感じている。

しかしながら、やはり20年以上歴史のある会社での3年はあまりにも短いし、創業者たちの苦労は伝聞として理解はできたとしても、苦しい時代を生きた人と同じレベルでは分からない。

もちろん自分が上場することに立ち会えたことは非常に喜ばしいことである。
一方で、立ち上げたからには自分の会社で上場をしたい、という思いが私の中で芽生えてきた。
そして新卒の会社のように人に恵まれる、そんな会社にしていきたい。
もちろん自分の感じた違和感の全てを無くした上で。

そして富士通という大企業にも負けないようなそんな会社にしていきたい。

数年後見返した時に青臭くて笑ってしまうかもしれないが、2019年12月時点の自分自身のタイムスタンプとして残しておきたい。

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