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心を育てることとについて思うこと。タイパの逆をゆく。

ここ1ヶ月くらいからかもしれない、観葉植物、公園に植えられている木々に興味を持つようになった。

大学進学で、地方から東京に住んで16年目になる。都会生活が長くなってくると、徐々に精神的なHPが年齢とともに減っていくのが体感としてわかる。例えば、20代前半くらいであれば、実家に帰省するのは半年くらいに1回で良かったのが、33歳となった今では月1回ペースで帰りたくなってきたといった具合だ。僕の実家は山間にあり、見渡す限り山で緑色しかない。

一方、今住んでいる東京の家はどうか。コンクリートで埋められた地に、高層マンションと高層ビル群が立ち並んでいる。緑と言えば小さな公園くらいで、自身の家の部屋も、付近の建物の影響で光が入りずらかったり、生活の気配をなくすために他者からの視線を消すようにして締め切っている。僕は23区内に住んでいるが、家を空けているとしても、空けていなかったとしても東京でカーテンを閉めない人はほとんど存在しない。夜、家の付近を歩いていると気づく。

自然光が遮断され、人工的につけられた照明の中、閉め切られた世界のような部屋で、1日中在宅で仕事をするイメージをしてほしい。こんな生活が積み重ねっていけば、心が疲弊していくのは無理もない。

先日、麻布台ヒルズへいくことがあって、その中のテナントに雑貨屋があった。豊富な品揃えで見ているだけで十分に楽しかったが、その中で栽培キットを取り使った棚があった。パッケージの可愛らしさに惹かれて購入した。僕が買ったのはこんなサイズのものだった。

こんな小さな容器の中で、芽は小さいけれどもそこに確かな植物としての生命を感じる。毎日眺めていくうちに「大きくなれ」と楽しみな感情と愛しさを感じるようになった。僕は結婚もしていなければ、子供もいない。でも、おそらく子供を持ったら、この気持ちに近い感情を持つのだろうと思った。

心が生きると書いて、「性」と読むが、これからの自分に必要なのは、慈しむ心、愛情を育てること、心を育てることなのだと考えるようになった。

それはインスタントなものではなく、時間がかかればかかるほど良い。その時間の長さに比例して、心が大きく育つ。


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