手触り感のある東京生活を送る
18歳、大学進学で上京してきてから東京生活は14年目を迎える。
働き出して10年。27歳くらいから、段々と東京での生活に、
心をすり減らすような感覚を覚えるようになってきて、30代に入ってからその感覚は、微かなものから確かなものへと変わってきた。
なんでも揃っているし、都内のどこへ行くにしても1時間もかからず行けてしまう。文化的な活動をかなり享受してきたけれど、ふとその疲労がくっきりと出てくることがある。
その原因になるものをずっと何だろうかと考えていて、自分なりに思いつく原因は、およそこのような感じ。
・高層ビルによる圧迫感
・人とモノが常に過密
・田舎者にとっての非日常が日常になっている。
・非日常が日常になると感覚が麻痺して、いつの間にか疲労が溜まっている。
まずは開けた場所に行き、日光を浴びること。
そして、まずは心を保つことが肝心だと思う。
心を保つということでは、積極的に日光を浴びたり、ランニングや、筋トレをしている。これだけでも、精神衛生はだいぶ変わる。
研磨するという点では、手間のかかること、観察力を持って対象物と向き合うこと、これが研磨するのに大きな役割を果たすでのはと思っている。
今年の4月栽培キットを買って以来、プチトマトを栽培して2ヶ月経つ。まだ苗のような状態で、いつ実をつけるかまだ先が見えない。
育っていく過程を見るのは、楽しい。毎朝起きて、窓を開けて、土の渇き具合を見つつ、プチトマト全体をみる。2ヶ月も経つと愛着のようなものが湧いてくる。興味本位で買ったものが、ここまで続くのは自分でも意外だった。
その楽しさを感じて、畑をやりたいと思うようになり、シェア畑に興味を持った。
コスパ、タイパという言葉に、手間という考えは抹殺されている。
手触りのある暮らしを取り戻すのには、この手間は連動しているが、知らない間に、人は自らの意思で、その手間を排除していたのだと気づく。
資本主義によって、工程を大幅にショートカットされた状態で僕たちは暮らしをしているが、心を保つという意味では、少なくても良いからその工程を取り戻すか何かが必要になるのだと思う。
心を保つということに関して書いたけど、実はその先の、心や暮らしを研磨するということも考えている。このことはまたどこかで。
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