ゲームとスポーツの境界は?eスポーツを巡る議論と失われる身体性

スポーツの起源は古来の「遊び」にあり、そして人間の身体の限界を探る試みでもあった。

古代オリンピックでは「走る」ことや単純な「力比べ」を主体とした競技でお互い限界を高め合った。現在スポーツとして多くの人に親しまれている野球やサッカーなどの競技は、古代から中世の農業社会に生まれた「遊び」にその起源を持つ。そして、19世紀以後の工業社会では自動車が誕生し、F1をはじめとした「カースポーツ」が人気を博している。テクノロジーの進化によってスポーツのあり方は変わり続け、時代に応じた新しいスポーツは常に誕生している。

そして、今まさに新しい「遊び」から生まれた「eスポーツ」が世界を席巻しようとしている。

オンラインゲーム/ビデオゲームを「競技」としてとらえ、選手同士のプレイ技能を競い、限界を高め合うのが「eスポーツ」。他のプレイヤーとの密な連携、客観的な戦況分析、相手よりも先手をとろうとする反射神経。プロゲーマーと呼ばれている人々の能力は、常人をそれを遥かに超える。

2018年2月17日NHKが放送した「eスポーツ」特集では、ゲームをスポーツとして扱うことへの違和感が視聴者より多く寄せられた印象だ。汗を流して苦労するのがスポーツだ、ゲームなんて遊びをスポーツとして扱うなんてとんでもない、と。

https://www.j-cast.com/2018/02/22321803.html?p=all

確かに野球やサッカー、カーレースなどの競技に比べ、ゲームになると身体性が大きく低下する。骨折をしたり転んで膝を擦り剥くこともないだろう。同様に少ない運動量の中で戦略脳や反射神経を駆使するが「スポーツ」と呼ばれていないものも世界各国で存在する。囲碁、将棋、カルタ、麻雀、チェス、リバーシ…数えあがえればキリがない。

プロゲーマーや棋士は、プロ野球選手やJリーガーとの違いはあるのだろうか。実際にプロゲーマーの生活をのぞいてみると、まさにストイックそのものであった。以前、プロゲーマーチームの「DetonatioN」の選手寮を取材しことがある。規則正しい生活、バランスの取れた食事、選手同士での真剣な作戦会議。「勝利」に徹底的にこだわるピリピリした空気が蔓延していた。その姿はまぎれもなくアスリートだった。

http://www.sensors.jp/post/detonation.html

私自身、日本eスポーツ連合がプロライセンス発行予定タイトルの一つとしている「Call Of Duty」シリーズを長年プレイしており、数々の大会にも出場し、また観戦していきている。そこには紛れもない真剣勝負の世界があり、練度が存在している。

「人間の身体」について。話は少し大きくなるが義手や義足、インプラント技術が今後も発達し、サイボーグと呼ばれる人たちがきっと出てくるだろう。VR技術が発達すればアニメ「ソードアートオンライン」や「オーバーロード」のようなフルダイブ環境下でのMMOPRGが実現するかもしれない。人間が本来持つ能力を超越したような環境で生まれる「スポーツ」や「遊び」に身体性は付随するのだろうか。

http://www.sensors.jp/post/superhuman_sports.html

おそらく、今後ゲームとスポーツの境界はあいまいになっていくのだろう。囲碁や将棋までがスポーツと呼ばれる未来がやってくるのかもしれない。

https://note.mu/takero/n/nedf4ed7e025f

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