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2013年度の「国語に関する世論調査」によると、「天地無用」の意味として、「上下を気にしないでよい」と回答した人の割合が29.2パーセント、「上下を逆にしてはいけない」が55.5パーセントでした。 正解は「上下を逆にしてはいけない」。この場合の「無用」は、「気にしなくていい」ではなく、「してはいけない」の意味。「他言無用」「貼紙無用」も同様です。
「Netflix」が新たなアニメ作品を配信しています。 「テルマエ・ロマエ・ノヴァエ」はラテン語のthermae Rōmae novae。thermaeはtherma「風呂」の複数形。RōmaeはRōma「ローマ」の属格。novaeは、形容詞novus「新しい」を、thermaeに合わせて女性複数形の主格にしたもの。全体で「新しいローマの浴場」という意味です。 ラテン語のvはワ行音なので、novaeは「ノウァエ」が正しい発音です。
「言語同断」ではなく、「言語道断」。読みはゴンゴドウダン。ゴンもゴもそれぞれ「言」「語」の呉音です。 「道断」は「言うにたえない」。「道」は言うの意。「言語道断」はもともと仏教用語で、深い真理は言葉で表現しつくせないという意味です。現在は、言葉も出ないほどとんでもないの意で用いられます。
「いぎたない」は漢字で「寝穢い」「寝汚い」。いつまでも眠っている、惰眠を貪るという意味です。「い」は「寝ぬ」の語幹。 下品だ、見苦しいという意味ではありません。「意地汚い」とも無関係です。
「入居」との対比から、住んでいた家を立ち退く意で「退居」と書いてしまいがちですが、その場合は「退去」と書きます。 「退居」とは俗世を離れて静かに暮らすことで、「隠居」と同じ意味です。
「チゲ(찌개)」という語自体が朝鮮語で鍋料理を意味します。したがって、「チゲ鍋」では意味が重複している(重言)ということになります。 「チゲ」という語は、「キムチ・チゲ」「純豆腐チゲ」のように、日本語の「鍋」とほぼ同様に用いられています。よって、例えば「チゲ鍋」とは別に「キムチ鍋」がある、というわけではありません。
「新前」とは、新しく始めたばかりでまだ慣れていない人のこと。 諸説あるため断定はできませんが、『大辞林』によると、この「新前」が訛って「新米」(もと新しい米の意)に新参者という意味が加わったと説明されています。
「おもねない」ではありません。正しくは「おもねらない」。 「おもねる(阿る)」はラ行五段活用なので、 と変化します。 打消の助動詞「ない」は未然形に続くので「おもねらない」。接続助詞「て」や過去・完了の助動詞「た」は、連用形に続いて「おもねりて」「おもねりた」、これが促音便化して「おもねって」「おもねった」となるので、「おもねて」「おもねた」も誤りです。 近年、「おもねない」のような、活用語尾のラ行音が脱落した下一段活用の形が許容される動きもありますが、文法に影響を与
物自体が主語となり、像を映す意の場合は「反映する」。 像を映す物自体が客語となり、主語がそういう状態になるよう仕向ける意の場合は「反映させる」です。
「オードブル(hors-d’œuvre)」とは、フランス語で「番外」「本膳以外」を意味し、本来はコース料理における前菜のことをいいます。 日本では、立食パーティーなどに出される軽食類の盛り合わせを指すことがありますが、これは「出前」などと言った方が適切でしょう。完成した料理を運ぶ場合は「出前」「仕出し」、現地で調理して配膳する場合は「ケータリング」です。
ビクウは医学における慣用読み。 本来はビコウ。「腔」を漢音でコウと読むのは、「口腔」と同じです。
これはオーブンなどを「あらかじめ」熱しておくことですから、「予熱」ですね。 「余熱」は、冷めずに「あまっている」熱のことです。
これも結構あります。 「贈りますよう」ではなく、「賜りますよう」。「賜る」は「もらう」の謙譲語。「たまわる」と読みます。 ウェブサイトはおろか、「Twitter」や「Facebook」などのソーシャル・メディアでもよく見かけます。もしかしたら、定型文自体「ご支援を『おくりますよう』」と覚えてしまっている人がいるのかもしれません。
これも検索サイトで意外と引っ掛ります。 「よろしく」の漢字は、「宣しく」ではなく、「宜しく」。「宣」と「宜」は、形は似ていますが、全くの別字です。 「よろしく」に「宜」の字を当てるのは、漢文でこの字を「よろしく……べし」と訓読したことによるもので、もともとは「……するのがよい」という意味です。