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親の選択にしたがった結果、地獄を味わった【失敗談】

こんにちは、タケオです。

今日、マナブさんのチャンネルにアップされた「親に進路を反対されたら、フルシカトすべき【期待に沿うと、失敗する】」という動画をみて、めちゃめちゃ共感して、記事を書こうと思いました。

私は、20歳くらいまで親の選択に従って生きてきて、後悔していることがたくさんあります。どんな選択があったか、その結果どうなったかを紹介していきます。

正直、私が過去の自分に対して、今の現状を説明して、「自分の意思を貫け」と説得することができるかはわかりません。それだけ未成年の頃の親の影響力は大きいです。ですが、親に進路を反対されて、人生に悩んでいる人にとって、少しでも力になれるよう記事を書いていきます。

1、塾に絶対に行きたくないと思っていたが、いくことになった話【小学5年生くらい】

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正直、小学生の時のことなんて書いても、小学生が読むわけじゃないので、無駄に思うかもしれませんが、話の流れの上で必要なので書きます。

1−1、塾にいくことになった経緯

私の親は教育熱心で、兄弟も含め、塾にいかせるようにしていました。しかし、私は子供のころから勉強嫌いで、学校の授業もろくに聞かないし、当時通っていた「公文式」の宿題も捨てたり、隠していたりしました。

結局、「公文式」私が散々嫌がったので、辞めることにしたのですが、親は何を考えていたのかまた違う「進学塾」にいかせようとしました。当然、私は猛反対して拒否していたのですが、友達も一緒にうけるということで仕方なく通い始めました。

1−2、結果、中高一貫校なのに私1人で逃げるように他の高校へ

進学塾については、結局辞めることなく続けました。なぜなら、仲の良い友達ができてやめたくなくなったからです。

受験の結果は第一志望校の「武蔵中」には落ちて、第二志望の「城北中」に行くことになりました。「まあ生徒の全てが第一志望校に受かるわけではないし、そこそこ偏差値のいい中学にいけたのだから良い」と思う人がいるでしょう。

しかし、よくないことは中学に行ってから起こりました。偏差値の高い学校に行ったからといって私の勉強嫌いは相変わらずで、270人くらいの学年で200位以下をとることが多かったです。

親から成績を叱責されることもありました。しかし、私は親から「中高一貫校に通うことで、高校受験の勉強をしなくていいから結果的に楽」ということで中学受験について説得されていました。そのため、これでは約束が違うと納得せず、あまり勉強しませんでした。

その後、人間関係でトラブルがあり、学校に居づらくなり他の人が中高一貫で高校に進学する中、私は逃げるように他の高校に行くことにしました。

正直、中学時代は良い思い出がありません。今、連絡をとっている友達もいないし、成績にコンプレックスを持ち、部活もうまく行きませんでした。

2、高校受験【高校選択】

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おそらく、その後の人生に大きく影響を与える高校から大学時代にかけてのことです。

2−1、楽な高校に行きたかったけど、結局、大学付属に

高校受験の際に思ったことは「とにかく楽な高校にいきたい」ということでした。中学時代のように、電車を乗り継いで片道40分近くかけて登校するのも嫌だし、勉強を頑張るのも嫌、と思っていました。

そこで、自分が第一志望に決めたのは「東亜高校」でした。中野区に住んでいた当時通学は自転車で5分程度で、偏差値は55くらい。理想的な基準だと思ってました。

他にも候補として上がっていた「中大杉並高校」(偏差値70くらい)と受験日が被り、親から「中大杉並」を受験するよう説得されました。大学付属の方が楽だとか、偏差値が高い方がいいだとか、東亜はグラウンドがないだとか色々言われて結局私は折れて「中大杉並」を受けることにしました。

2−2、結果、大学中退し借金400万

受験の結果、「中大杉並」に合格し、通うことにしました。高校時代も相変わらず成績は「下の中」くらいでした。部活はサッカー部を2ヶ月くらいでやめ、バイトをしつつ、だらだらとした高校生活を過ごしていました。

大学の学部選択の時期になり、私は「理工学部」の「応用科学科」を第一志望にしました。化学に興味があったわけではなく、「法学部」とか「経済学部」は人気でどうせ入れないし、そこそこ化学の成績がいいという投げやりな理由でした。

大学へは希望通り「中央大学理工学部応用科学科」に入れたのですが、その後、学部選択、学科選択を心底後悔しました。

1年で必要な単位の約半分を落としました。授業をサボっていたわけではないので、そこまで単位を落とすことは予想していませんでした。2年目で、挽回しようと授業をたくさんいれましたが、1年目の単位をまた落としたり、2年目の単位を落としたり、散々な結果でした。

3年目になり、単位の結果がでて、大学を4年で卒業できないことが確定しました。私は、その時、大学が辛くて、仕方ありませんでした。その上、学費がかさんでいくという恐怖もあります。そのため、親と相談し、大学を中退することにしました。

当然、親は反対しました。しかし、私はこのまま続けていたら頭がおかしくなる、自殺してしまうと思ったので、意見を押し通し退学しました。初めて親の反対を押し切って自分の意見を通したように思います。

結果、大学の卒業証書をもらうことなく、奨学金の返済400万近くが残りました。大学の退学を決めて、400万の奨学金の返済の通知を読んだ日の夜が、いままで31年間の人生で1番泣きました。

3、親の選択に従うことの悪影響

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3−1、選択と行動に真剣さがなくなる

私が、塾や偏差値の高い学校に通っていた時、周りより勉強に真剣に打ち込めていませんでした。本来、塾や偏差値の高い学校は、勉強するためのものなので、周りは真剣に勉強します。

しかし、私は「親が決めて仕方なくやっていること」という意識があり、真剣さが足りなかったと思います。

学部選択に関しても、理系の学部が文系よりハードだってことは常識です。それなのに私は、「文系の学部は人気でいけないから」「まあ、なんとかなるだろう」と軽い気持ちで学部選択をしてしまいました。

3−2、「過去と他責」思考の呪いにかかる

ビジネス書やビジネスで成果を出した人は、よく「過去に囚われてもなにも改善しない」「他責思考では何も変えられない」という発信をします。

私も、頭では「自責思考で、今とこれからについて考える」ことが有意義であることは理解しています。しかし、ふと自分の境遇を思い返した時に、「あの選択がなければ」「親のせいで」という思考がちらついてしまいます。

当時を思い返しても、自分に親の選択を押し返す方法があったとは思えません。「それがなければ、自分は成功していた」なんていうつもりはありませんが、少なくとも「最終学歴高卒(大学中退)」で、「400万の借金を背負って」「中学から大学までの友人関係で、今も続いている関係がなし」で「中学時代から大学時代までの良い思い出なし」という状況よりはましになっていたと思います。

3−3、親のことが嫌いになる

親は選択を押しつけた結果がどうなっても、責任をとったりしません。家庭によっては、奨学金の支払いを肩代わりしてくれる所もあるかもしれませんが、私は違いました。また、お金に関しては責任の取りようがありますが、精神的苦痛や時間に関しては、責任の取りようがありません。

結果、親のことが嫌いになります。親子関係は人生で何十年続くので、良好な関係でありたいと思っています。しかし、心のどこかで親のことを許せない自分がいます。

実際、自分からすすんで実家に帰ることはありませんし、母の日や父の日のプレゼントも「送った方がいいのかな」と思いつつ送れないでいます。

4、まとめ

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4−1、親から選択を押しつけられ人生に悩んでいる人へ

これまで書いてきた通り、私は親から押しつけられた選択を拒否できず、後悔していることがたくさんあります。勇気をもって自分の選択を貫いてください。もし力になれるのであれば、この記事を親に見せてあげてください。

私は「自分の人生を自分で選択すること」ほど難しくて価値のあることはないと思っています。自分で選んだように見えて、他人の意見や状況に流されていることもよくあります。

4−2、自分の意見を押しつけてしまう親へ

子供の意見や選択を尊重してあげてください。子供の人生は親の物ではなく、本人の物です。子供の人生に親は責任ととることはできませんし、自然にいけば、親は子供より先に死にます。

もし、子供のことを大切に思うのであれば、子供が失敗しないように選択を押し付けるのではなく、失敗した時に助けてあげてください。

5、あとがき

この記事の内容は、私がだれにも知られたくないトラウマ的な部分であり、だれかに打ち明けたい心のもやもやでもありました。

記事を書いている途中で、「やっぱりやめようかな」と思うこともありましたが、「ここでやめたら、ずっともやもやしたままになる」と思って記事を完成できました。

内容に関して、鬱っぽかったり、他責思考だったりして、不愉快に思う人がいるかもしれませんが、全力で書きました。もしよろしければ、感想などコメントいただけたら嬉しいです。








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