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蛙の子は蛙でも。

エッセイストというか随筆家に青木玉さんという女性がいる。まだ存命なのだろうか?青木玉さんの母は有名な随筆家の幸田文で、ということはその上は文豪幸田露伴ということになる。

芸術新潮でずいぶん昔に青木玉さんの着物についての随筆を読み、それから随筆というかエッセイに魅せられた身としてはこの幸田家は特別な一族なのだ。今は青木玉さんの娘さんの青木奈緒さんもエッセイストをしているから親子四代で文筆家というすごい話になってくる。奈緒さんにプレッシャーとか無いのかね?

それはそうと、こんな自分でも大学教授夫婦の息子として生まれ、目標ではあったもののけっこうプレッシャーを感じたりして親子でいろいろあったりした。その後は理解してもらったけども。

心の病で学習が中断したものの、その後も自分の知識欲や学習意欲は衰えず、この50代なかばまで来てしまった。遺伝形質的に大学教授の両親の血は引いているものの、どこまで頭が良いやら悪いやら。それでも這いずり回りながら独学を頑張ったかな、いちおう。

青木玉さんや幸田文さんを始めとして、やっぱり幸田家にも露伴が重しのように被さっていたとは思うのだが、特に幸田文さんは独学というか自力で随筆家になったという経歴だから、そこが蛙の子は蛙というところか。子は親に似るのだ。

とはいうものの、親が巨大な峰のような偉大な立場だと案外子供は悩み苦しむ。自分の例を挙げて申し訳ないが苦悶や煩悶は相当する羽目になる。

幸田家については幸田文の本は数冊持っているとして、問題は自分だよな。病気療養と低レベルの福祉環境で納得のいく人生を生きてきてないんだよね、実際。

そこを怒ってもいいんだろうけど、時間がもったいない。たまたま近所の公民館で水彩画教室があり、通い始めて三年は経った。そこで親のレベルを持ち出すのはアレだけど、もうちょっと本気で絵画制作に望んだらいいような気がしたのだよ、昨晩。残りの人生を無為に過ごすのはもったいないし。

絵画の才能もある程度は遺伝的な部分があるのかなー?とは思うが、老いた父が何故かその気で「タケオ、がんばれ!」とか張り切ってくるから、こっちは詫びるつもりというかごめんなさいな感じで、ある程度熱心にというか、着実に水彩画とドローイングも頑張ってみたい。結果は神のみぞ知るだけど、自分なりに頑張ったという実感を得てあの世に旅立ちたいと思ったりしている。

いろいろあって学者の道は行けなかったけども、これから絵画制作を頑張ってみたい。まずは低山から登山のようにレベルを上げていきたいよね。今は日本三百名山の一歩手前かね。(汗)

そういえば俳句も始めたのだった。実のところ自分が一番尊敬している人物は俳人の正岡子規で、子規が作るから僕も俳句を作るのであった。それから、子規が随筆を書いていたから僕もnoteを書いているし。

それから、子規は病床にありながらも絵を描いていて、写実を提唱しつつ「自分が元気だったらやりたいのは絵だ」と書いていたはずだから、子規の影響で、僕も俳句と随筆と絵画を頑張ってみたくなったのだよ。

いや、人生はそのうち尽きる。可能性は低いが今日でお終いかもしれない。そう考えるともたもたしていられない気がしてくる。子規の「病牀六尺」ではないが、限られた能力と条件の中でもできるだけ頑張ってみるのが自分の望む道のような思いだ。

いや、人生いろいろと思うようにいかないことも多いが、生き方というか生き様だけは曲げたくない。

それが、両親から受け継いだ我が家の生き方という血脈の部分なのだろうと思っている。


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