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いま、「望む力」が衰えている

大学教員になって5年。学生と接していると、この国の未来は明るいと思う。ボクが大学生だった80年代後半と違い、大学生はまともだ。しかし、これからの世の中で生きていくために足りていない能力・スキルも見えてくる。その一つは、「望む力」だ。もしくは、「みらいを描く力」といってもよい。

大学の授業で毎回、「大学時代に何をしたいか?何を実現したいか?」についてワークをしている。それをしている(実現した)時に自分から見える光景を絵に描いてもらう。そうすると毎回、100人いたら3~4人の学生は描けない。また、描けたとしても「彼女とディズニーランドに行きたい」というような、やろうと思えばすぐにでもできそうな未来を描く学生が少なくない。「大それたことでなくていいよ」と言っているので、それも仕方ない。しかし、「何したいの?」と聞いて、答えられない、答えづらそうにしている学生は多い。

こう言うと、「最近の若者は、・・・」という議論になるが、オジサンオバサンも同じように「望む力」が衰えている。企業で50代の方を対象にキャリア研修の講師をすることがあるが、「これから65歳、70歳まで働くうえで、この会社で何をしたいですか?」と問うと、答えに窮している姿を見かける。描いたとしても「これからイタリア語を勉強して、イタリアを旅行する」とか「和太鼓教室に通う」とか、どうぞご自由にやってくださいとしか言いようのない回答も少なくない。

おそらくこの原因は、「あなたは何がしたいのか?」という問いを問われてきていないからだと思う。「坂の上の雲」ではないが、目指すべき目標が社会全体で設定されていた時代は必要性がなかった問いかもしれない。また、大人になっていく過程で、中学になれば高校受験、高校になれば大学受験、大学に入れば就職というように、自分が取り組むべき目標を他人から設定され続けてきたからかもしれない。この問いを問われてこなかったから、その力が磨かれていないのではないか。

AIが人の仕事を奪うという議論の中で、人にしかできないことは何か?とよく考える。専門家の話を読んだり聞いたりすると、その一つは「みらいを構想する」ことだと思う。つまり、自分はどうしたいのか?このチームをどうしたいのか?この会社をどうしたいのか?この国をどうしたいのか?未来を描くことは人間にしかできない能力だと思う。若者も中高年も「みらいを描く力」が衰えてきたら、これからの社会の中で生き残っていけるのだろうか。

仕事がら、多くの人の人生やキャリアについてインタビューさせていただく。その度に、人生は「問い」と「行動」からできていると実感する。人が自分にどういう問いを立てるのか?そして、その問いにどう答えるのか?(どう行動するのか?)で、その人の人生が形作られていく。だから、人や自分自身に対して「あなたは何をしたいのか?」と問い続けることが大切だと思う。この問いが「みらいを描く力」を磨いてくれるはずだ。

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