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幼少期の自分①(入院生活)
何と3日連続で投稿しますよー。
熱しやすく冷めにくい私が、ここまでやるといよいよ本気かな?(←何言ってるんだ?笑)
ここ数日、本当に色々ありまして…
親知らずがついに身体から居なくなるという大きな出来事を乗り越えて、今この記事を書いております。
幼き日の自分は…
本当に臆病者でした。
とにかく人と話せない。
恥ずかしい。
すぐ泣く。
基本ネガティブ。
入院生活も長かったのですが、ほとんど覚えていません。
でも唯一、覚えている出来事があります。
私が入院した病院は、医療施設と障害児入所施設が併設されており、今でいう保育士がいる施設でした。
その保育士達とその他の子ども達と一緒に屋上に散歩に行った時の出来事です。
屋上なので、当然それなりに風が吹いています。
その風に吹かれて…
「こわいよ~…飛ばされちゃう。。。泣」
と言って泣いていました。
そんな幼少期の自分。
でも幼いながらに、色んな事を考えはしていた気がします。
お母さんは、私のことを支援機関や役所などに伝える時、何故か涙が止まらなかった。
そんな母にずっと疑問を持っていたのは、今でも覚えています。
そして、そんな母を見て
「僕が悲しませているのかな?」
と思ってもいました。
そのため出来もしなかったのですが、
家から出ていこうと玄関に向かってゴロゴロ寝返りをしていた事もありました。
すっかり忘れていたんですが…
生まれてすぐに医者から、
「この子は一生寝たきりだ」
と言われていたそうです。
ふむ…、3年後には座ってメシを食っていたが。
医者など信じるだけムダだな!
と10代の頃は本気で思っていました笑
そんな自分を支えてくれた人達
当時の看護師達には、今でも頭が上がりません。
担当してくれた看護師は(もう引退していますが)、私のために毎食海苔巻きを作ってくれていました。
…何を隠そう私は究極の偏食家で、当時は海苔巻きと味噌汁の汁、じゃがいも、そしてプリン以外口に入れなかったのです。
そのため、入院しているのに栄養失調で点滴する1歩手間までになったことも…。
なので、その病院の特例で一日のうちで本人がプリンを食べたいと言ったら食べていいというルールまで作ったのです。
アホや…超問題児やん。。。
でも、そんな私に担当看護師は、
「タケちゃんは、いつか有名人になってテレビに出るんだよね」
と言ってくれていました。
テレビには…出たいと思ったことないんですけどね、今でも。
でも、私の存在を心から認めてくれていた人がこの世にいてくれたことは、本当に大きかったと思っています。
今日は、ここまでにします。
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