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五観の偈の話

五観の偈

 お寺で禅修行すると食事のお経が大抵あって、その中に「五観の偈」というお経(偈文)がある.

一 ひとつには功の多少を計り 彼の来処を量る
二 ふたつには己が徳行の 全欠を忖って供くに応ず
三 みつには心を防ぎ過がを離はなるることは 貪等を宗とす
四 よつには正に良薬を事こととするは 形枯を療が為ためなり
五 いつつには成道の為ための故ゆえに 今此この食を受く

SOTOZEN-NETより

 全体の内容を簡単に言うと「いただきます」「ごちそうさま」といういつも食事前後に使っているフレーズの原型かつ詳細といったところ.今回は、五観の偈の一つ目の偈文について考えてみる.

 一つ目の偈文を現代語に訳すと「目の前にある食事がどのように作られたかに思いをめぐらし感謝します」となる.このフレーズを初めて聞いたとき思ったのは「当たり前やん!」確かに言っていることはその通りなんだけれども、文字としてアタマでは理解できても体感として実感がなかなか湧かない、そんな印象だった.それはちょうど、インフルエンザに罹った人に「インフルエンザに罹ると本当にしんどいよ!」と聞いても自分でインフルエンザに罹るまでは、そのしんどさについて本当の意味で分からないのと似ている.

 兵庫県の新温泉町にある安泰寺で禅修行を始めると、自給自足で田んぼでお米を作ったり、畑で野菜を作ったりしていて、食事に使われる作物の生産過程に自らが関わると野菜や米を育てる大変さや育てた作物を鹿などの野生動物から守る大変さなどを経験してより体感を伴って偈文に向き合えるようになった.

 さらに人がご飯を食べて排泄した尿や便が堆肥となって、次の作物の肥料になっていく過程も経験した.「ご飯は食べて終わり」が普通の発想だけれども実際は人の食事をして、排泄をする.生きる上での一連の根源的なプロセスが野菜や米の生産サイクルの一部と結びついて五観の偈を一層自分の中で咀嚼し、深めることができたように感じた.

 住居についても同じことは言えて、小さなものでもセルフビルドで自分自身で作ってみると、建物を水平垂直、雨風をしのぐように作るのが如何に大変なことかを体感できて、大工さんや左官屋さん、屋根屋さんなど職人さんへの感謝の気持ちも実感として湧いてくる.

 また薪ストーブで暖を取ったり、カマドで調理したり、五右衛門風呂で風呂に入ったりと薪エネルギーで生活すると木々や森林に対する向かい合い方も変わってくる.

 日常生活の中で「自分と自然の関わり方はどうか」「自分と食べ物の関わり方はどうか」という問いが次々と投げかけられてくる.
 
 今日、普通で街で生活していると食べ物はコンビニやスーパーで食材や惣菜は買えるし、スイッチ一つ押せばエアコンで部屋が暖かくなったりする.エコキュートでお湯を沸かしてすぐに温かいお風呂にも入れる.トイレに行けばウオシュレットトイレで排泄の匂いも音も出ない.とても便利な生活だけれど「生きるプロセス」には接する機会が少ないライフスタイルだと思う.

 もちろんそれぞれ住んでいる環境が異なっていて衣食住の全てのプロセスに関わることはできないけれども、出来るだけ自分の生きているプロセスに真剣に向き合い関わること、それが一日一日を大切に丁寧に生きることに繋がる.そんなメッセージを五観の偈から受け取りました.

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