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第10回 亀鷹人生~社会人:大阪、三重、東京編~

みなさん、どうもかめたかです。

今回は会社員になったんじゃけど研修やら実習やらで点々と動いたけぇ、東京に行くまでにあった出来事について書こうと思う。
因みに、この年は本間に厄年じゃねんかってくれぇかなりメンタルに来る出来事ばっかじゃった。
もちろん、自分にとってかなりえぇこともあった。

んなところで、書いていこう。

本社研修@大阪

ベアリング」のメーカーってことで、まずはベアリングが何かについて知ろうと思うたんじゃけど…調べる前にすぐ入社式があることを思い出して一旦会社の話聞こうと思って入社式へ。
「メーカーは本配属の前に工場実習がある」って聞いたことがあったけぇ、会社の沿革とかよりも
①工場がどこにあるのか
②ベアリングが何なのか
の2つのみ話を聞いとった。
その他の研修内容はまぁありきたりな「社会でのマナーやルール」について。もちろん一番大切な部分なのは分かるんじゃけど、

ただ「この時はこうするんだよ」ってよりも「この時にはどうすれば良いと考えるか」の問い形式にせにゃあ、全く同じケースじゃねぇ場合に応用できんよな。と。

よう言われる、「魚を与えず釣り方を教える」に似とんかな。

そこんところはずっと少林寺拳法しとったし、礼儀作法に関してはできとるって認識が強かった。ので、あまり話を聞いてねかった。(これで礼儀作法できとるって言えるんかな…笑)

とまぁ約1週間の新入社員研修が終わり、ホテルで休んどったら当時彼女(現妻)1本の電話が…

なんと父親に!?

「ほいほい?」って感じで電話に出たら、「ちょっと相談があって…」て感じで結構真剣な話なんじゃなーと思いながら話を聞こうと心の準備をしょうた…ら…

「お腹に赤ちゃんいるかも!」

と。

いや、まだ心の準備ができてねぇタイミングで!と思いながらも色んな感情が出て来て急いで整理しながら「病院に行って確認してみよう、研修終わったら数日休みがあるけぇ帰るわ!」て伝えて実習先確認して三重県ってのが分かったけぇ荷造りして三重にゴー。そして直ぐに倉敷へダッシュ。

病院に行って診察室へ、わいは待機室。
そしたら診察室に呼ばれて行ってみるとモニターに何か鼻くそみてぇな米粒みてぇなのがぴょこぴょこと動いとる物体が。

「おめでとうございます、元気な赤ちゃんです。」

いきなり先生が言うもんじゃけぇ、何事か正直分らんけど、子どもが目の前に映っとるってことだけは分かった。

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※ごめん写真が…ここらへんしか持ってねかった。

先に伝えておくと、格好良く且つ綺麗に書こうとは思ってねぇ。わいが感じたこと考えたことをそのまま書く。じゃけんこそ、同時に頭をよぎったのが「…本間にわいの…子?」と。
というのも、嫁は東北出身で仕事の配属で倉敷に来とったんじゃけど、柔らかくふんわりとした感じの女の子で結構男性ウケも良かった。と思う。
(わい個人のフィルターじゃったらごめん。笑)
友達がおらん状態で不安もいっぺぇあったってことから、声を掛けられたら基本一緒に遊んだりする方で、色んな男性と一緒に夜出歩いたりしょうた。

加えて、わいは小学6年生の時に男性の大切な部分を一つ失くしとる。
(まぁ武道しとったりしたら結構色んなことがあるよな、歯が折れたり骨が折れたり大切なモノを失ったり…笑)

ってことで、自信を持って自分の子どもって自覚することが難しかった。
んで、嫁に自分の思いを伝えた。本間に嫁にとって一番言われとうねぇ言葉じゃったじゃろう。それで、嫁が言うてきたのが

「私一人でも、この子は産んで育てる。」

嫁の覚悟を聞いたけど、正味自分の気持ちも整理できてねかったけぇ「そりゃあおめぇは100%自分の子じゃろうけど、わいからしたら…」って気持ちがあって即決できんかった。

休みが終わって三重に戻らにゃあおえんかったけぇ、話決まらん状態で駅に向かった。丁度倉敷駅に着いた時に、嫁のお義母さんから電話が。

「皓平君、おめでとう。
~中略~
もう一人の父親なんだから、無茶はせず身体には気を付けてね。」

この言葉で腹が決まった。

わいは国際協力の分野で特に「子ども兵の社会復帰」に焦点を当てて活動しょうた。(子どもが好きじゃけんって理由だけじゃけど)
そんな中、

自分の子どもを殺して(下ろす、見捨てる)まで自分の夢を追い続けることができるのか。

…おそらく、わいの性格上185%無理じゃと思うた。ぜってぇ自分の中でいつか「あの時生を受けた子どもは…」ってなる。

お義母さんのその言葉で、自分の中で腹括らにゃあおえんなって思うた。
正味自分が今まで考えとった理想像が、それこそ本間に積み木が崩れるかの如くガタガタになったってのはある。ただ、軸/原点はブレんけぇ、それじゃったらまた1から積み上げて行けばえぇと思うた。

電話を切った後、終電まで時間があったけぇ嫁の職場に戻って嫁に時間くれって言うて外で話した。
(ここからはプロポーズ的な話になるけぇ…恥ずかしっ♡)

まぁ、約束してほしいことを何個か言うて、約束してくれたけぇじゃあわいと結婚してくれって言うたって感じ。そんな感じ。(後でちゃんとしたプロポーズしたので、その話が聞きたい人はコメント欄へ。笑)

新幹線に乗った後考えたんじゃけど、結局のところ
育てていきょうたら子どもはわいのことを親父って認識する」じゃろうし、「育てていきながら万が一自分の子じゃねかったとして、その子を見放すんか」て考えたらそんなことねぇなって思うて。

自分の中で整理しながら三重に戻ったのを、今でも忘れてねぇ。

突然の死

実はそのまま上と繋がっとって…新幹線で帰った次の日の朝、地元の連れから電話が入っとって気づかず、LINEで「自分が知っとる人にこのことを伝えてほしい」的な文章があって、職場に着いて一服しょうた時に電話掛け直したら

「○○が死んだ」

正直最初は何を言うとんか分らんくて、LINEで「何か○○にめでてぇことがあって、それで人集めてお祝いしようぜ!」みてぇな話かと思ようたけぇ、本間に頭に入らんかった。
再度確認で、何?って聞いたら「いや、○○が死んだ。事故で」と。

まだ会社入って2週間くれぇしか経ってねかったけぇ、試用期間で休みもねかったけど、そんなん関係ねぇ思うて新入社員の指導係に話してもごもごしょうたけぇ、所長に会いに行って「連れが死んだので地元に帰らせてください、減給なりなんなり受けます。」
所長は2秒程経った時、「行ってきなさい。」とだけ言ってくれた。

会社を後にして喪服を準備しようと寮に戻る途中、親に電話した。
何でか分らんけど、電話かけたタイミングで雨が降り始めて、久しぶりに声を出して泣いたわ。

岡山に戻って葬式に参列した時、連れの親御さんから「もう○○には会えん様になってしもうた、最期に何か話しかけてやって。」と。

棺の中におる連れの顔見て、周りのこと関係なしに「○○何しょん?」て声に出してみたけど返事がねぇって自分の目で見て、耳で聞いて初めて状況を全部受け入れることができたと思う。

翌日告別式が終わって、工場実習で三重に戻った。その日の夜、

「『いつ、誰が、どうなるか』は分らんけぇこそ、
●普段から伝えたいことを伝えること
●身の周りの人に支えられとること
を肝に銘じて行動する。」

と心に決めた。このことを教えてくれた○○が、わいの行動活動を応援してくれとった。

じゃけぇ、わいは今も尚自分の信念を曲げずに歩んでいけとんじゃと思う。

身体の限界

さて、そっから3ヶ月経った2015年7月28日に救急車で運ばれた。笑

実習ってことで建屋内が約60℃くれぇの熱処理工場で交代勤務しょうたんじゃけど、少しでも嫁の負担が減る様に毎日電話して話したり、2週間に1回岡山に戻って一緒におったりしょうた。腹も大きくなりょうて「あー可愛ぇなー…はよ会いてぇなー!」って思いながら過ごしとった。良いこと。笑

でもそんな生活を4ヶ月弱も続けとったけぇか、頻繁に腹下す様になって「おかしいなぁ…とりあえず寝るか」と飯食わずに寝て、起きて仕事して飯食って寝て…みてぇな感じで食ったり食わんかったりしょうた。

ある日15時頃出勤で現場に着いた時に、何か両腕が痺れてきて頭がポーっとしたけぇ、「あ、タバコ吸うてねぇけぇじゃ。」って訳の分らんこと思いながら火つけて吸ったら更にクラクラし始めて、吐き気もしたけぇ一旦冷房ついとるMTG室に移動。そしたら丁度朝礼が始まる時間で先輩方が来てMTG。座ったら立てん様になりそうじゃったけぇ立っとったんじゃけど、結構やべぇなーと。

「ご安全に!」と挨拶してヘルメ被って工場戻ったらちょっと回復したけぇ、「あ、気合の問題か」と思いながら設備点検しょうたら後頭部が痺れ始めて吐き気やばくて、人生で初めて「あ、ちょっと本間に今回のはまじぃかも」と思って班長に声掛けた。
そしたら、「おーっ、亀鷹今日もあちぃな!いつも元気な姿見て俺らも頑張れるわ!」と。

…「はい!頑張りましょう!」て返してしもうた直後後ろからバットで後頭部殴られた感じで揺れて片膝ついて、「ちょっと身体痺れてます…」てボソッと言うて倒れた。

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※工場作業着のわい、根性論のわい。

意識はあったんじゃけど、身体が言うこときかんかった。ちょっとここに書くのを憚れる内容は伏せるんじゃけど、その状態で約1時間程救急車は来ず、医務室にも行けず休憩室におった。段々意識が朦朧としてきて落ちそうになった時に、救急隊が来て病院へ。

原因は「過労」と「中度の熱中症」とのこと。その日は点滴打って寮に戻って休んだ。
3日後に全身精密検査したけど、特に異常なし!と言いてぇところが…自律神経やられとるみてぇで、副交感神経を働かせる薬をもらう様に言われた。

精神科に行って事情話したら、「自律神経失調症」「パニック障害」「うつ症状」と。
…正直「ん?わいが?んな馬鹿な。飯食って寝たら治るわ。」と思うて帰宅したあと薬飲まずに飯食って寝て、翌朝早番に行こうとしたら全身痺れて動けん様になった。

そこからは今もずっと薬を服用しながら仕事することになっとる。おせかったんじゃけど、「根性論だけじゃダメか。」と実感した瞬間じゃった。

少林寺拳法を続けてきとったけぇ、体力にも自信あったし、精神的な部分もだいぶ鍛えられとると思ようたけど、やっぱ、根性だけじゃおえんかった。笑

本配属@東京

8月以降、現場での改善案を出してくれとのことで、熱処理工場全体を見ながら改善点を出して、提案したところ、直ぐ実行してみることになり、月間およそ400万円の削減が見込めるということで所長の前でプレゼンすることに。

プレゼン内容が評価されたのか、9月の本配属公表日、「東京営業第一課へ配属」の辞令が。

わいが何で?ぶっ倒れたし会社にとって今回の辞令が出ることを予想してねかったけぇ、驚きしかねかった。

ただ、この会社に入った目的が「対顧客ではなく対法人で自分の交渉力/政治力は通用するのか」を確認するためじゃったけぇ、東京で営業できるのであれば最高の辞令じゃと考えた。

嫁に今回の辞令を伝えた後、身支度して東京での営業を楽しみにしながら、いつもの薬飲んで新幹線に乗った。


…というわけで、今回はここまで!
かなりボリュームがあったんじゃけど、大分絞って書いた。つもりじゃけど5,000字程度になってしもうた。笑

2015年はこの後も本間に色々あったんじゃけど、わいにとって忘れられん年じゃった。

実はまだまだ2015年続きまして…次回、もう一つの死と娘の誕生!
興味がある人はリアクション&フォローしてくれい!

てなわけで、また!


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