雑にできない雑談
お久しぶりです。今月はスタジオ•資格勉強等々(またこれについては書きます)が忙しかったもので、まったくnoteを書く時間がありませんでした。しかしこのままでは形骸化してしまいかねないと。てな訳で最近思っていることをちびちび書き残します。今回の写真は内容と全く関係ないものですが、飯テロとでも思ってください。
雑談って何を話すのが正解なの?
私は話すことが大好きです。取り留めのない事をみんなと話している時間、それを幸せに感じる毎日です。(コロナでそういう場が奪われ続けてることが改めてとても悲しい。)
しかし考えてみると、雑談は全くもって得意じゃないような気がする訳です。雑談雑談言ってますけど、果たして俺にできているのか、、?
そもそも雑談という言葉はどういう意味であったか、とりあえず調べてみることにしました。
[名](スル)さまざまな内容のことを気楽に話すこと。また、その話。とりとめのない話。「雑談を交わす」「友人と雑談する」
[補説]古くは「ぞうだん」「ぞうたん」と読む。
goo辞書より引用
だそうです。様々な内容のことを気楽に、、、?辞書に楯突く気はありませんが、雑談はそんな生易しいものでは無いはずです。なんせ雑談力の本が巷に溢れているくらいですから。
特にこれは初対面の人やあまり親しくない人間の前で考えることが多いのですが、どの話題をチョイスすべきなのか、ここがとにかく難しくないですか?最近読んでいた世界史の本に書いてあった、「人類は虚構を信じることが出来たため繁栄できた!」みたいな話を急に語り出しても引かれるだろうし、また当たり障りのない話をしても、つまらない人間だと思われそうで嫌だ、そう思ってしまいます。(自意識過剰かな。)
“ひな壇芸人”
押し付けるのは失礼ですけれども、人間個性をいかに人にアピールするかが大切であると考えています。友人がひな壇芸人で例えていたことを思い出します。これはいい例えだなと思いましたね。
いつも私は“ひな壇芸人”の気持ちで生きている。ひとつのエピソードトークに命をかける、その気持ちがわかってくる気がします。埋もれたくない、埋もれたくない。ただ、芸人さんでもなんでもない一般人である私。そんなバラエティに富んだ話も、いやそれ以前にそもそも話すスキルが欠落しています。
素人は何を話すべきなんだ?どこまで抗える?最近はそういう事を常々考えています。そんな中、意識的に行いたい自分なりの答えをひとつ見出しました。
珍しい事を積極的に
そうです。誰も周りでしていないようなことを積極的に行えばいいんです。当たり前です。当たり前なんですが、これがまた、意識的にしないと難しい。人間、割と流行に流されているものです。多様化とよく言われる現代においても、やってることと言えば、みんな似たようなことばかりになってきます。同じ年代の人であれば、余計に。
そのため最近私はあまり周りの人がしていないようなこと、それをあえてやってみようという気持ちでいます。まあ結局ここでなにをしようか悩むので、悩んでいる位置をずらしただけの気もしてきますが、こっちは行動に結びつく悩みなので、良し!!
そうして最近していること
その取り組みの一部をここで紹介しましょう。(ネタ切れを起こすのが怖いので、詳細はまた別の記事で書きます。ああ、冒頭でも言うたか。)
まずは応急手当普及員の資格取得です。そもそも応急手当普及員なんて聞いたことすらないでしょう!!(私は無かったです。)応急手当普及員とは、心肺蘇生法やAEDの方法を説明する講習会を開くことを消防署により公的に認めてもらった人達の事です。講習会を開く機会なんて、まあ無いでしょうけど(10人くらい集まったらやってみてもいいかも)、持ってても損は無いでしょう。なんせ人助け出来るんですから、そしてそれを教えられるんですから。
そして今はこのnoteを日本健康マスター検定の受験会場に向かいながら書いています。この資格についても、また説明したいと思います。やはり、健康についての話題は昨今の情勢を鑑みても、いい“ネタ”になると考えたのです。
そもそも、このnote自体ひとつの話のネタになるかなと思い、始めました。拙い文章ですが、少しでも多くの人が読んでくれたらいいな。話のネタを探し求める姿は芸人さんも同じなのでしょうか。そんなことも考えながら。それでは、さようなら。
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