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君たちはどう生きるか(著:吉野源三郎) 読書感想文

……あれ?読んだら素直に感動できたぞ!?

大学の恩師から再読を勧められ、えーあんなつまらない小説をまた読むの?と最初は正直イヤイヤだったが、まず文庫の最後に所収されている丸山眞男の〈『君たちはどう生きるか』をめぐる回想〉を読んでみろと言われ、読んでみるとなんとまあ感動的な吉野源三郎への弔辞になっており、『君たちはどう生きるか』を読むにあたってのポイントを見事に抑えた名文であった。これで記憶の中ではただの説教くさいつまらない小説だったこの本を読みたくなる強い興味を得た。
ちなみに恩師曰くはこの『君たちはどう生きるか』は宮沢賢治からの影響が強いそうだ。

また、今公開中の宮﨑駿監督の映画『君たちはどう生きるか』をより理解するためにはやはり再読が必要だと思っていた。宮﨑駿監督の著書『折り返し点』の中に小説『君たちはどう生きるか』の感想談話「失われた風景の記憶」(2006年談)が所収されており、これに小説の書かれた年代から紐解く吉野が本当は何を伝えたかったのかという宮﨑監督の考察が示されており、また宮﨑監督がこの小説の特にどこに感動したかということも書かれていて大変興味深かった。

この二点でもって再読したら、なんとまあ正直に胸を打たれてしまった。うん。まあ記憶通り説教くさいところもあったがそんなことはどうでもよかったのだ。

主人公のコペル君が「人間分子の関係、網目の法則」を知恵を絞って発見するところも実に感動的だが、やはり小説のクライマックスである、コペル君の仲間が上級生にいじめられそうだと噂が立ち、いじめられる時は一緒に立ち向かおうと仲間たち同士で約束していたのに、いざ仲間がいじめられるとからだが動けなくて黙って見ている他なく、コペル君は自分を卑怯者だと責め臥せってしまうという件。
そして叔父さんから喝を入れられ勇気を出して謝罪の手紙を書き、それを読んだ仲間たちは実はコペル君のことを卑怯者だとは思っていなく、コペル君の家に駆けつけるところ。

似たような経験は自分にもあった。
僕も友達がいじめられているところを目の当たりにして怖くなって一緒に立ち向かえず逃げてしまい、友達は後で笑って許してくれたものの、自分の中で卑屈な態度をとってしまったという心に小さな棘が刺さって未だに抜けない苦い記憶がある。

その後、小説では、コペル君の母親から苦い思い出話が語られる。
石段をお婆さんが重い荷物を背負って一段一段上がっていく。それを手伝おうとしてもなぜか勇気が出ない。そのうちお婆さんは石段を登りきってしまい、その小さな後悔がずっと胸に残っていて未だに離れないのだという。

似たような経験は僕にもまたまたある。
よく電車で席に座れないお年寄りや体が不自由な人がいたら席を譲ってくださいと言われるが、これも何度も失敗しているのだが、席を譲ろうか譲るまいか悩んでいる間に別の人がスッと譲ってしまい、ああっ…自分は卑しい!という棘が幾度も刺さっている。そもそも席に座らなければいいのに。

こういった経験、コペル君のように自分がやってしまった過ちを辛く感じ思い悩むこと。これこそが人間らしく生きるというものであり、疎かに生きてはいけないということなのだと学んだ。

最後に繰り返しになるが、この本を読み返すきっかけの一つとなった丸山眞男の〈『君たちはどう生きるか』をめぐる回想〉は必読に値すると思う。
そう。今までの自分はこの回想をちゃんと読んでいなかったからダメだったのだ。これがあるとないとでは受け止め方がだいぶ変わってくると思う。
この回想は岩波文庫版にあるので(他の版にもあるのかはわからない)、この小説『君たちはどう生きるか』を読むならまず、この丸山による回想という名の吉野源三郎への弔辞を読んでみることをおすすめする。

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