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影の獄にて 読書感想文

影の獄にて 新装版(著:L・ヴァン・デル・ポスト、訳:由良君美・富山太佳夫、新思索社、2006)


(2023.12.19読了)

結構ネタバレしてます…。


第1部 影さす牢格子

ハラ軍曹は美しい眼をしていた男だ。不恰好だがその眼だけでヨーロッパ人からすれば超越的で無私な人物であるとわかるという。

この『第1部 影さす牢格子』が始まる前にハラは処刑されていて、ハラのやったことを「わたし」とロレンスが回想するという趣向になっている。

だが、これはドキュメント的でもある小説であるので、ただ漫然とハラとロレンスのやりとりが書かれるのではなく、一種の戦争における日本人論として読むことができる。しかも筆者によるある意味でのフィールドワーク、民俗学的でもあるため学術書を読んでいるような気にもなる。例えば、下のくだり。

動物や昆虫や植物とおなじように、時間の継続・昼から夜への動き・日から太陰月への動き・月から季節への動きに、日本人たちはみな、いまだに深く浸りこんで生きている。彼らは宇宙の律動と動きに従い、ヨーロッパ人の頭や哲学では夢想だにできぬほどにまで、自分ではどうしようもなく、宇宙のもろもろの力に支配されて生きている。(中略)
あらあらしい大自然の力にあれほど深く浸っている人たちが、自分のこころのなかの夜を十分に認めることができるのは、ただ夜という時刻だけだーー日や日の光とともに、時のなかのあの深い暗黒の底なし穴に、光を知らないおのれの本性の底ふかく、はるかに降りてゆくことができるのは、ただ夜という時刻にだけなのだ。その暗黒の底なしの穴、暗い本性の底では、拷問ということも、海のうしおのように自然であるばかりか、不可避のものですらある。

p.18

そして、そんな拷問や処刑を繰り返していたハラをロレンスは、戦争になった以上死を予見し、死の他に何も予期していなかったのだろうと言う。

なぜなら、生きている者は、生きねばならぬ、、、、、ために、むしろ生きることよりは死ぬほうをほんとうに望ましく思うのであり、生きるよりは国のために死ぬことのほうが、もっと気高いことだと考えるからなのだ。生ではなく死が、彼らにとっては浪曼的にみえるのであり、この点、ハラも例外ではない。ハラはこういう考えをすべて持っていたし、並の人以上に持っていた。

p.32

ハラは恥を恐れた。恥を晒すくらいなら自決した方がマシだとも言う。

そんなハラが捕虜になって、ロレンスと再会する。ハラはクリスマスに酔っぱらって、ロレンスを処刑寸前のところから救い出したが、最後にその時の話になる。「めりい・くりーすますぅ、ろーれんすさん。」と笑顔で。

謙虚で、従順で、悔い改めた個人の心のなかに起こった真実の変化ーーいっさいの理屈を抜きにして、その変化を全身全霊をこめて表現しようとする無垢むくのこころの最初のほのかなときめきを受け入れ、考えるまえにまず、その新しい意味を生きてみようとするほど謙虚な心。

p.46

を笑顔から感じとったロレンスは急いで刑務所に戻るが既にハラは処刑されていた。

そして、最後にロレンスが言う。
「ぼくらは、いつも、手おくれでなければならないのだろうか?」


第2部 種子と蒔く者

セリエは障害者の弟を裏切った罪の意識に苛まれていた。

町の学校で行われるイニシエイションという名の新入生へのイジメいや暴行の場面はとても残酷でそして深く悲しかった。その暴行を受けさせないという選択もセリエは立場上できたのに全くせず傍観者としてしかも実験をしていて忙しいと称して隠れてセリエは見ていただけであった。

その後セリエが最優秀学生に選出され受賞のため演壇上にのぼった時弟の眼に不安をおぼえ、カモシカの猟の時も、その仕留めたカモシカの眼にも弟の眼をだぶらせ、セリエは余計に罪悪感に苛まれ、ついには一人になることや仕事を離れることによる、そして弟の眼による〈無〉を恐れるようになる。

そして戦争が始まった。
セリエは戦地に向かい殺し合いに夢中になるようになるが度々どうしても〈無〉に苛まれる瞬間が訪れ彼は苦悩し続ける。

しかしとある出来事をきっかけに休暇をとり弟のもとへ急遽帰国し、弟にまさに懺悔し許しを得る。

しかし戦争は止まらない。セリエは日本軍のヨノイが指揮していたジャワの捕虜収容所に拘禁され拷問を受けた上での虫の息同然で連行されてくる。

セリエはなぜ戦地に戻ってきたのか。それはたとえ許しを得たとしても既にこのような経歴をもつ以上、身を引き、魂の問題の特権的な解決を求めることなどできないと。

病棟での議論のさいに彼がよく繰り返したことばを、わたしは記憶している。彼はこう言った。「自分自身の人間的、時間的脈絡」から離れて、特別仕立ての解決をどうこう言えるほど純粋な人間は一人もいない、と。魂の問題に極端に飲み込まれてしまえば別だろう。そうでなければ、人生の避けがたい関門を迂回することは、誰にもできはしない。魂が生を求める戦いはとても重大なものだから、程度の如何を問わず、誇らしいときも、屈辱的なときも、恐しいときもその挑戦をうけて立たねばならぬ。それどころか、ある種の死活問題の場合には、魂が死を求めて要求をつきつけてくるのを尊重し、できる限り見苦しいことなどないよう、一糸も乱れぬよう、人を殺さねばならないこともある。セリエ自身、これが最後の解答であると思っていたわけではないが、これが今のぼくのぎりぎりの線なのだとは言った。
「うーん」とロレンスは唸って、悲しげに頭を振った。
「ぼくたちだって同じところを歩いてきたのじゃなかったか。それなのに、それだけの意味しかないんだろうか。」

p.146-147

しかしセリエはジャワでの作戦を通じて出会ったキリスト教信者の歌を聞いて次のようにも悟ったともいう。

その後病棟でセリエは、人が自らの生の意識に従順にならないと、生には意味がないことを悟ったと説明してくれた。戦争前の彼を苦しめつけた無意味感は、このために他ならないと彼は考えていた。自分はより大きな意識に従っていなかったのだ、と。

p.150

結局ジャワの作戦は失敗に終わり、セリエは日本軍に捕まり裁判にかけられる。その裁判員の一人がヨノイであった。

ヨノイはセリエに並々ならぬ興味を抱いていた。ヨノイのおかげで処刑されずにすみ、収容所に送られた虫の息のセリエをヨノイは早く治すようにと周囲を巻き込むほどに急き立てる。回復した後のセリエはそんなヨノイに何をするか……。

セリエは収容所の全員が見ている前である人物を処刑しようとするヨノイの前に立ち抱擁し、頬擦りをしたのだ。

完璧な戦士だったはずのヨノイはあろうことか敵味方の前で決定的な屈辱を受けたのだ。

そしてセリエは生き埋めの処刑を受ける。弟が歌っていた美しい歌を口ずさみながら。

ヨノイは死にかけのセリエの髪の毛の一部を切り、神社に自作の詩とともに奉納する。

正直キリスト教の知識に無知な自分には理解しにくいところもあったが、セリエの罪悪感というのは自分にも似たようなものがあるし、セリエの弟の境遇にも共感できた。

セリエが弟に対してやった行為はどうしても許されないことだ。読んでいてなんて酷い人間だと思っていたがしかし読み進むにつれてだんだんなんて哀れな人間に思えてきた。

セリエの凄いところは精神を壊さなかった(壊しきれなかった)ところだ。理性と知性をぎりぎりまで保って罪の意識と無意味感に苛まれ悩み続ける。

しかしそれをもっとも哀れんでいたのは他でもない弟であった。弟がセリエに蒔いた種が最後、あの収容所にいた全ての人間に植えつけられたのだ。


第3部 剣と人形

『第3部 剣と人形』ではロレンスが戦地で出会った女性との一回きりの愛そして情事、そして二度と再会することなく終戦を迎えた話が語られる。

しかしロレンスは彼女がどこかで生きのび、自分の子もみごもっていないだろうという確信を持っている。

彼女は〈幸せ〉という考えに驚くぐらい何度も触れていた。

それやこれやを総合してみると、彼女は〈幸せ〉の性質について深く畏敬の念を以て考えていたことが彼には明らかになった。その結果、ほぼ確実と思われたことは、彼女は再会の裁決を、大半、ふたりをかつて出会わせてくれた〈運〉の手に委ねてしまったということなのだ。たとえば、僕は確信するが、もし彼女に子供が出来ていたとしたら、彼女はそれを、ロレンスとの関係が継続されるべきことを意味する生の通告ときっと見做したろう。僕が今、意識的に分るようになったことを、彼女はまるで直観的に分ってしまっていたような気がする、ふたりの関係の更新の機会を失うことは、この関係をもっと意味ふかくさせてくれるのだということを。

p.261

この話がクリスマスの夜にロレンスから語られこの『影の獄にて』という物語は幕を閉じる。


戦場のメリークリスマス

この『影の獄にて』を原作にした映画が、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983)である。

結構自分が思っていた以上に映画は原作をなぞっており、第3部の丸々カットと一部の展開(セリエのカモシカの狩りと戦闘シーンなど)と、セリエがセリアズに名称が変更されていたり、『影の獄にて』の主人公である「わたし」が不在である以外は結構忠実であると私は思った。

あとはエピソードの順番を「編集」し、一本の物語にまとめあげて映画は構成されている。

ハラやヨノイ、セリエ(セリアズ)のイメージも概ねキャストと合っている。

男と男の同性愛の描写は原作より膨らまされているものの、本質的なテーマ、問題提議は変わっていない。


さいごに一言

これほどまでに戦争のなかで人間が生きる上での問題が複雑に絡み合っている小説を読んだことはなかった。

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