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命日によせて

7月。
今年もまた夫の命日が巡ってきた。
2013年のことだったから、9年の歳月が過ぎ、10年目に突入したことになる。
DECADE.
ちょっと一区切り的な感じもするけれど、仏教の考え方だと次は13年めが一区切り。まだちょっと先だ。物事の考え方って色々だなあ。

あれから辛くて悲しい、それでいて温かい日々が流れ、
結婚と同時に暮らしはじめた街での歳月は、
いつのまにか
生まれ育った故郷での時間より長くなっていた。
この街にくらし始めて今年で20年になる。

夫婦ふたりで過ごした時間と、三人家族になってから過ごした時間。
そして親子二人になってから過ごした時間。
大切な友人もたくさんできて、思い出もたくさんあって、
根っこが生えてしまい離れられそうもない。

そもそも、この街に引っ越して来た理由はなんだったっけ。
都内に出やすいから。家賃も安いし、夫の仕事(舞台照明)の機材倉庫もこの街にあった。美味しいパンやさんと、コーヒーやさん。和菓子屋さんがあったのも決め手になった。雰囲気のよいカフェやお花屋さんもお気に入り。
大きな川が流れていて、お互いの故郷に似ているってのもあったかもしれない。都心に近いのにほどよく田舎で空が広くて、大きな公園もあって、初めて来たときは、なんだか明るくて優しい空気が流れている感じがした。

毎年、夫の命日には、街にあるお花屋さんで買った花を仏前に生け、好きだったコーヒーやさんの珈琲や和菓子を供える。
そして、お墓参りに行き、お墓の写真を大阪の義姉にLINEで送るというのがここ数年の慣例だ。お墓参りをするときは雨の日が多く、お墓にいるときだけ雨が止むという現象が続いていたのだが、昨年くらいから快晴の日のお墓参りが増えてきた。あまりにも天気が良すぎて、お墓に行っても「あ、留守だな。おでかけしているな」と感じる。どこをほっつき歩いているのやら…。

命日に義姉とするLINEのやりとりの中で、いつも私は心を解かしてもらっている。悲しくて涙が枯れ果てて固くなった心を柔らかくするような「本」を、ふと教えてくれるのだ。
昨年は若松英輔さんを教えてくれた。
今年はヘンリー・スコット・ホランドの「さよならのあとで」だった。

一年かけてギチギチになった心が揉みほぐされていくような言葉にあふれている本。
本は、そして言葉は、なんて最強なんだろう。
柔らかくなった私の心は、また一年かけて固くなると思うけど、時間や本や言葉が、私の周りには絶えず流れている―――。

「さよならのあとで」 

死はなんでもないものです。
私はただ
となりの部屋にそっと移っただけ。
私は今でも私のまま
あなたは今でもあなたのまま。
私とあなたは
かつて私たちが
そうであった関係のままで
これからもありつづけます。

一部抜粋(ヘンリー・スコット・ホランド/訳者:匿名)



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