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映画「バカ塗りの娘」見ました

丁寧で、落ち着いた、平凡な映画。

 私は京都で漆器などの伝統工芸のデザインを主な仕事としています。両親は共に津軽の出身、先祖代々の墓も津軽にあり、子供の頃からお箸は津軽塗、という出自です。津軽塗でも絶滅した技法「白子春慶」の取材に行ったこともあります。
 そんなわけでこの「バカ塗りの娘」、ミニシアター系映画はあまり見ないのですが興味津々で拝見しました。

 こういったニッチ業界をモチーフにした作品は、なまじっかその分野をかじっていると「アラ探し」のような見方をしてしまうのでそこは抑えて、肯定的に楽しもうという姿勢で臨みました。

 タイトルの「バカ塗り」ですが、現在は「バカ丁寧に作る」という意味で解釈されていますが、私の記憶が確かなら、昔は「塗っては研ぎ塗っては研ぎ」の工程を延々と反復することを「同じことをバカみたいに繰り返す」と表現した、自虐と揶揄に自慢を織り交ぜた言葉だったように思います。(繰り返すのがバカなのかどうかは、ここでは語りません。あくまで当時のローカルな表現)

 主人公の父・小林薫さんが漆を塗る佇まいはまさに熟練の職人そのもので、一流の俳優の「化けっぷり」に舌を巻きました。津軽弁は残念な感じでしたが、日本一難解な方言ですので仕方ないか。端役にはネイティブ俳優で固めたのか、全体的な「津軽っぽさ」は感じられました(「ワゴン車で木地を納品に来たおじさん」や「お葬式の風景」がまさに)。
 虹のマートや中三の紙袋、イカメンチや貝焼き味噌、ヒメタケノコの煮物など、小道具使いはローカルさが散りばめられていて、そこはニヤリとしました。

 ストーリーはというと「朴訥とした女の子が、恋やら家族関係やらいろいろあって、父の仕事(漆塗り)を自分なりに継ぐ」というものです。シンプルですが「良い映画は、ストーリーを一言で言える」という評価軸もあります。しかし、新鮮味に欠ける印象は拭えませんでした。

薄暗い食卓。
不器用で時代遅れの父。
詰問する母。口ごもる娘。
家業を古臭いと嫌う金髪の息子。
ほのかで実らない恋。
廃校に忍び込む青春の一ページ。
現代らしさを意識して盛り込んだLGBT。

 どの設定もシーンも既視感に溢れていて、「ミニシアター系邦画あるある」を詰め込んだような、類型的な作品でした。レイザーラモンRGも歌い出しで言ってしまうでしょう。
 職人の描き方も「無口で頑固、人間嫌いだが情にもろい、一升瓶で日本酒を飲む、商売が下手、嘘がつけないバカ正直」といったテンプレート描写。TVの二時間サスペンスで前田吟さんや寺田農さんなどが演じる職人気質と同じ、ありきたりなものでした(寺田農さんは悪徳工芸作家役も多いけど)。

 でも類型的な映画がつまらないかというとそうではなく、同様に、どんでん返しだらけの意外な展開が面白いというわけでもない。
 「どの家族にもある普遍的な情景をしっかり切り取るとこういう作品になった」とするなら、誠実な映画なんだと思いました。
 「職人」の描写も平凡でしたが、世間の人が勝手に期待する「こうであってほしい、という職人像」には応えていたと思います。このステレオタイプが後継者不足の片棒を担いでいるのですが、これもまた別の話…。

 しかしやっぱり「どこかで見たようなあるある映画を、なぜわざわざ新たに作るのか?」という疑問が残ります。

 津軽であることの必然性もあまり見えなくて(そもそも津軽で撮ることが前提の企画だったのかもしれませんが)、「塗っては研ぐ」という工程に人生の何たるかを込めたいのであれば輪島塗でも会津塗でも良くて、地道な作業の繰り返しで暗喩するなら他の工芸でも成立してしまう。

 加えて、つい漆器関係者の目で見てしまったことですが……
 主人公は一人前ではないものの父のサポートができるくらいの腕前なのに、漆器店で基本的な技法について教わっていたため、主人公の熟練度がチグハグでした。またこの漆器店のシーンはとってつけたように不自然で、ここを撮らねばならない義理があったことを勘繰ってしまいます。
 作家として頑張った処女作がいきなり海外で評価されるという都合の良い展開も、悪い意味であるある感でした。

 映画に「ひとときの非日常」や「スカッと爽快」を求めたいタイプでしたら、迷わずミッション・インポッシブルをお勧めします。
 漆で生計を立てるミッションも困難なのですけれど。

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