十進法という“常識”を試問する ~「年齢」を例に

十進法が常識

数の表現方法は多様であり、寧ろ無限ですらある。そして私たちは、日常的に十進法に親しんでいる。十進法を基準に世界は回り、ほぼすべての文明が形成されてきた。これに疑いを持つことは、私たちには日頃ほとんどないが、この記事では十進法という“常識“について発問することを試みる。
 
十進法がなぜここまで私たちのあいだで幅を利かせているのかを考えてみると、手の指が十本であるからという説明が一般的なようである。何かを数えるのに、指の数を基準にすることは実に便利だ。私たちは、祖先が案出した一種の生活の知恵を受け継いでいる。これは余りに便利で生活に浸透しているから、敢えてその意義を問い直すことはない。

もしも十三進法が常識だったら

しかしそれの他に、無限とまで言えるほどの数え方が存在しており、私はそれらに意識を向けることを提議したい。十進法は確かに便利であるが、それに固執することはどうも不健康な気がして息苦しい。                   ここで、一例を挙げたい。
 
例えば十三進法を用いたとする。十三進法は次の十三個の数字が使われるとしよう:0,1,2,3,4,5,6,7,8,9,A, B, C。これらで表される数によれば、十進法でいう10は十三進法ではAであり、十進法でいう20は十三進法では17である。また、十進法でいう30は十三進法では24であり、十進法でいう40は十三進法でいう31である。
 
私たちは自分の年についていうときも、当然のように十進法を用いて話すけれど、私はこれに立ち入っておきたい。よく「30歳になると……」とか「50歳を超えると……」とか — 適当に援例しているだけだから「30」とか「50」とかの数は無意味です — 巷間では年齢の諸事が言い囃されるが、これはよくよく考えると怪しい。
 
なぜなら、もし私たちが十三進法を用いていたら、十進法によるときの30歳は24歳だし、十進法によるときの50歳は3B歳である。切りが良いと思って私たちは20歳とか60歳(もしくは20代とか60代)などというけれど、これは十進法を用いているからに過ぎない。これが十三進法に取って代わられれば、きっと話の様相は一変する。
 
反対に十三進法での切りの良い数字、例えば10や20,30は、十進法ではこの順に13,26,39である。十三進法の世界があったとしたら、そこでは私たちはたぶん十進法によるときの13歳、26歳、39歳について、諸事を語っているだろう。成人式は十進法によるときの13歳に行われているかも知れない。十三進法によるときの20歳(十進法によるときの26歳)のとき、ようやく私たちは学校を卒業しているのかも知れない。
 
率直に言えば — 十進法によって「20歳を迎えて……」とか「60歳を過ぎて……」とかいう言説は、はっきりいって、便宜的であるだけでその年齢の数には何の意味もない、とさえ私は思っている。なぜなら、それ以外の位取り記数法によれば、十進法の場合とは違って通用せず、共通の、もしくは普遍的な意味は見出し得ないからだ。

 切りの良い数字に容易くとらわれない

今の年がどういう年かなど、人それぞれ異なる。ある年齢が示す意味は、人によって真(まこと)に区々である。例えば現在の日本で成人の開始年齢を20歳としているのには、一体何の根拠があるというのか。便宜的である、切りが良いとしか言えないだろう。なぜ19歳でなく、また21歳でもなく20歳なのか。おそらく19歳ないし21歳と20歳との間に明確な相違はない。そうしたことに囚われていることは、些か愚かな気がする、というのが恐れながら、私の雑感である。
 
「35歳になったから……」とか「75歳になったから……」などと、私は物したくない。私は、十進法による数に左右されてしまう物の見方を好みはしない。十進法は便利であるからこそ、それに乗じて生まれる考え方を悉く疑おうではないか:十進法以外のN進法では、多くの場合で話の様相が異なるからだ。したがって思うに、十進法による思考は、ときに不健康なのである。私はそれに息苦しさを覚えてしまう。(この世界では十進法が常識なので、分かりにくくならないように記事は十進法によっています。)

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